31 May 2012

韓国 初級旅 その11 水原華城(完)

今日は夕方の便で帰国ということで、
午前中のバスツアーに乗り、ソウルの南約40kmの水原にある、
朝鮮王朝時代の城塞都市、「水原華城」に行く事になりました。
とても時間が足りないとは思いましたが
どんな所か見るだけでも・・・。

水原華城

「水原華城」を建設したのは
朝鮮王朝22代正祖(在位1776〜1800年)です。
テレビドラマ「イ・サン」の主人公といえばイメージし易いですね。
正祖

正祖は10歳の時、父である思悼世子が
宮廷内の政争の犠牲となり、非業の死を遂げたことを終生忘れず、
孝心から即位後1789年、風水に従って墓を楊州から水原へ移しました。

そして定期的な祭礼行幸の際に滞在するための
行宮(臨時の王宮)の本格的な建設を命じます。
そして同時に王権強化のため、城壁を備えた都市計画にも着手し
遷都も検討されました。

朝鮮時代の築城は日本のように堀を巡らして天守閣を造るのではなく
高い城壁が人間の住む場所全体を囲んで守る形式で
華城は総面積130ha、城壁の高さ7m、全長5.7km、に及ぶ大工事でした。

設計には若手の実学者達を登用して
従来の朝鮮の城の守備を強化し
槍、弓、刀のみならず、銃砲も用いた攻撃が可能な構造にしました。

また、従来の築城法に加え、焼煉瓦等の西洋技術を清を通して導入し
建築資材の規格化を行ない
挙重機と呼ばれるクレーンを発明して工事の効率化を図って
当初は10年と見られた工期を、2年8ヶ月に短縮しました。
挙重機           参考画像

こうして1796年に水原華城と行宮は完成します。
ところが正祖はその後1800年に急死し、華城は忘れ去られ
その後も荒廃したままでした。

175年後

1975年、韓国政府は復元事業計画に着手し、
当時の詳細な築城記録である「華城城役儀軌」という本に基づいて
1979年に水原華城を復元させました。

当時の築城が忠実に再現されている点が建築史的に評価され
1997年、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

水原到着

京釜高速道路を走ること40km、水原華城に到着しました。

バスを降りると何しろ視界が悪く、気温も下がっています。
ここは城壁内の東側、東将台近くの観光案内所です。


城壁には東西南北に 蒼龍門、華西門、八達門、長安門の4大門があり、
将台、空心?、砲楼、角楼、暗門、弩台、烽敦(のろし台)など
実際は41もの建物が建っています。

華城を見るには、全長5.7kmの城壁を歩いて一周するのが本式ですが
私達のツアーグループは時間節約のため、
蒼竜門ー東北空心?ー東将台付近を見学後
華城列車という遊覧車に乗って
東将台前から西将台前まで城壁を北へ半周廻ることになりました。

城壁の上から見渡した、周囲の景色です。 
霧がなかなかいい感じです。
城壁というものが珍しい上、建物の形が変わっています。

最初に目にした城壁の中です。
このあたりは広い軍用基地の雰囲気を残してありますが、
市街地化している所もあり、もちろん行宮も城内にあります。

城壁の上には、位置表示のため
東西南北を4色(青白赤黒)で示す旗が所々に立っています。

ここは青い旗が立っているので、城壁の東です。

「蒼竜門」

水原華城の東門として1795年に建造されました。
石造りのアーチ型の門の上に楼台が建っています。

城壁の内側です。


城壁の外から見た蒼竜門。円形の張り出しを備えています。  参考写真

  
門の周辺です。

「東北空心?」

「空心」は、空洞という意味で、内部の兵士が周囲を監視し、
銃眼から銃砲で攻撃する機能を備えています。
新素材の黒い煉瓦を円く積み上げて造ってあります。

かなりユニークな形です。

蒼竜門から見た東北空心?。
手前は城内へ通じる車道です。

「東将台」 (錬武台)

華城の東北方面の軍事指令所で、高い場所に立っています。
軍事訓練所も兼ねており、
周囲は兵士の武芸の練習場として使用されました。

四方が見渡せるようスカスカです。冬は寒いだろうなー。

銃眼から撃つ銃。                    戦闘用の石。

武芸の練習場付きです。     参考画像

「華城列車」

ここからは、終点の八達山の西将台入り口まで
この華城列車で城壁に沿って走ります。

ご覧の通り、金ぴかの竜が、王の乗る輿の形の車両を
引いてくれるのです。王侯気分で行きましょう。


「北暗門」

ここは暗門と呼ばれる、物資や兵馬の秘密通用門だそうです。

黒煉瓦を使用しています。

こちらの烽敦(のろし台)も代表的な黒煉瓦製建物だそうで
珍しい形です。 今回は見れませんでしたが・・・。

「華虹門」

水原城内に流れる水原川と城壁が交差する所に
7つのアーチ型水門があります。

その上には華虹門という楼閣が建てられ
水量の調節や敵の侵入を防御する役割を果たしました

この橋からUターンして再び華虹門へ接近

右の丘の上の建物は東北角楼です。
下記解説をどうぞ。

「東北角楼」 訪花隨柳亭(宝物)
華城の東北の角の高台に位置し、見張り台とあずまやを兼ねています。
宝物だけあり美しい屋根が特徴です。        参考画像

「北東砲楼」

砲楼は、壁城から外に突出させて建てられ、
建物の上階と階下から大砲で攻撃出来るよう造られています。
  

「長安門」

韓国内にある城門の中で最大を誇り
華城の北側にあることから、華城の正門にあたります。

首都を意味する長安という名に
正祖の大都市建設への願いが込められているとの事でした。

王室の威厳を象徴するために2階の楼閣が造られています。
      
                                         参考画像

「西北空心?」

「西北空心?」は前出の「東北空心?」と形は違いますが、
同じく見張りと、銃砲を発射する機能を備えています。
内部は3階建てで、城壁よりも相当高く、
正祖が最も愛した建物だそうです。
                                

「華西門」(宝物)

西の華西門は、規模や構造は東の蒼竜門とほぼ同じです。
当時の姿を残していることから宝物に指定されています。
                                                            参考画像                       
                 
          
隣に建つ西北空心?と並ぶ姿は大変調和が取れています。    参考画像

「西将台」(華城将台)

華城の西側は八達山という低い山で
その稜線に沿って城壁が築かれました。
西将台は頂上に建っています。

西将台への階段登り口が華城列車の終点でしたが
残念ながら時間がなく西将台はパスしました。

ここは水原華城が一目で見渡せる地点で、
正祖が全軍を指揮したと伝えられています。
参考画像

眼下に見えるのは華城行宮の瓦屋根です。  参考画像
ソウルから遷都することも検討されましたが
正祖の死によって、夢に終わりました。
行宮は1979年の復元後、2003年から一般公開されています。

武芸公演

残り時間で朝鮮時代の武芸の公演を観ました。
場所は行宮の前です。

なかなかよく訓練されています。

弓の実演です。やや小さい弓です。

長槍や

   棒や

  
       長刀も使います。

  
一騎打ち

  
韓流時代劇の世界です。

  
この面魂! 各自専門の技を磨くのだとか。

はじめて見る朝鮮時代の武芸公演、おばさんは感心。


水原華城は半日ではとても廻れる広さではなく、
やはり城壁の上を歩いて初めて全体像が把握できるのだと思います。
車窓からではなく、ゆっくり建物も見たかったし、
6時間かかると聞くとちょっと考えますが・・・。

短時間ではありましたが
日本の城とはだいぶ違う韓国の城の文化に
触れることが出来ました。

仁川国際空港

ホテルから仁川国際空港行きバスに乗り、楽をしました。

保安検査も済ませ、搭乗までの時間をつぶしていたら
免税店街に時ならぬ宮廷パレードが!!
愛嬌振りまく、王と王妃。

最後のサービスなんでしょうか。
いやあ参りました。

  

大韓航空の機内で出たちらし寿司。
頂く間もなく福岡空港。
本当に近い国でした。

韓国初級旅、

最後までお付き合い戴き、有難うございました。