15 May 2012


韓国 初級旅 その8 昌徳宮 

昌徳宮 

                                        参考画像

ソウル宮廷巡りも、徳寿宮、景福宮に続いて、昌徳宮にやってきました。

王宮はどこも同じに見えてしまいますから
少し予備知識がある方が面白いと、今回の旅で反省し
ここでちょこっと昌徳宮の歴史です。

1395年に朝鮮王朝の始祖李成桂によって
景福宮が建てられたというのは既にご紹介しました。

今回見る昌徳宮は、1405年に3代太宗(在位1400〜1418年)によって
景福宮の東に離宮として建造されたものです。

ところが1592年の戦火でソウルの全王宮が焼失し、
1610年に最初に再建されたこの昌徳宮が王の本拠となりました。

そして1868年に26代高宗(在位1863-1907年)が
大韓帝国初代皇帝として、再建成った景福宮に移るまでの間
258年の長きにわたり、昌徳宮は朝鮮王朝の執政の場となりました。

その後のことですが

30年後高宗は1897年に景福宮から徳寿宮に移ります。
そして1907年、2代皇帝純宗(在位1907〜1910年)は再び昌徳宮に移り、
1910年朝鮮王朝は終焉を迎えました。


平地に整然と造営された威厳ある景福宮とは対照的に
自然の地形に沿いつつ、王家の日常生活の場として建造され、維持された昌徳宮は
景観も四季の変化や趣に富み、
当時の宮廷生活を今に伝えているといわれます。

また王宮の奥にある、長年非公開だった「後苑」は
自然を主体とした中にも韓国独特の伝統文化を表しているのが特徴という事で

昌徳宮と共にユネスコ世界文化遺産に登録されています。

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敦化門


こちらは昌徳宮の正門にあたり、1412年に建てられました。
1609年の再建当時のままの姿は、韓国で一番古い門との事です。

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仁政殿(国宝)

仁政門の向こうに・・・

  
仁政殿(国宝)です。こちらで公式の儀式が行われました。

国王が仁政殿へ上がる中央階段のレリーフは中国の影響だそうです。

  
仁政殿から見た仁政門です。
石畳の左右に縦に並んでいる石は、
両班たちが官位順に整列するためのものでした。

内部中央の玉座です。ここにも日月五峰図の衝立がありました。

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宣政殿

王が日常的な執務を行なった所で、現在韓国に唯一のこる青瓦の建物だそうです。

宣政殿の内部の玉座です。
ここで学者や官僚と儒教の経典や歴史を勉強したそうです。

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熙政堂

こちらは国王の寝所と日常生活の場でした。

大変美しい彩色です。玄関には車寄せが付いています。

こちらは最後の皇帝2代純宗の御料車、キャデラック。
現代自動車によって復元され、
2007年に開館した古宮博物館に収められました。(参考画像)

1917年の失火後、内部は西洋式に変えられました。
カーペット、シャンデリア、洋家具、ステンドグラスが見られます。

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大造殿

王や王妃の寝所として使われました。
多くの建物と人々に取り囲まれた宮廷生活の様子が伺える所です。

   
1926年、大韓帝国最後の皇帝純宗はここ大造殿で亡くなりました。

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楽善斎

楽善斎は読書家の24代憲宗(在位1834〜1849年)の書斎として
1847年に建てられ、
寵愛していた側室と、祖母である23代純祖の后の住居も
同じ場所に建てられました。

憲宗の趣味により清の様式を取り入れた
無彩色の木造で、地味な印象を与えますが、
簡素な中にも凝った細工を施した味のある造りになっています。

楽善斎は最後の皇帝2代純宗の后、
最後の皇太子李垠殿下と、日本の梨本宮家出身の李方子妃、
そして高宗の王女で日本の対馬宗家に嫁いだ徳恵翁主
晩年を過ごされた場所でもあります。
長寿を願う亀の甲羅の模様の塀です。

  
楽善斎。彩色せず、木材本来の地味な色合いで統一されています。                  繊細な木組の桟。

  
                        オンドルの煙突です。         

現在の楽善斎は1996年に、建設当時の形に復元されました。 参考画像

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昌徳宮 後苑

昌徳宮の中には後苑と呼ばれる奥まった秘苑があり、
王宮の面積の60%を占めています。
長年非公開でしたが、2006年から公開されています。


これから先が後苑です。
自然保護のため、ガイド付きのグループ見学と決められています。

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芙蓉池周辺

後苑の中は庭園の拝観というより、林の中の散策といった感じで
奥に行くにつれ、自然の気が満ちて来るところでした。

こちらの芙蓉池は地を表すという四角形をしており、
真ん中には天を表すという丸い島が浮かんでいます。

また池の周囲には芙蓉亭、宙合楼、暎花堂が建っています。
左が芙蓉亭です。(残念ながら工事中でしたので 参考画像です)

芙蓉亭の対岸には小高く宙合楼が建ち、
その前に魚水門が立っています。
中央の門は王の専用で、左右の小さい門が家臣用だそうです。
また、前の道は「宮廷女官チャングム」の撮影に使われたとのことです。

宙合楼は1777年に建てられた楼閣で、科挙合格者の図書館でもありました。
1階は図書を保管し、2階は閲覧室になっていました。

魚水門は、池の魚がここを通り、宙合楼まで跳ね登って龍になる門という意味だそうです。
これは魚である臣下は登龍門の科挙を経て、宙合楼へと登って精進し
王の高潔さは池の水のように魚を見守っているという理想を表しているとのことです。

    
芙蓉池を臨む暎花堂は王の休息に使われました。                堂内の美しい天井の彩色は見事です。
また、22代正祖の頃には、ここで科挙が実施されたとの事です。

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演慶堂

こちらは1828年、両班の屋敷を模して造られたという建物群です。
王が民の生活を経験するためでもありましたが、
自然の中での楽しい気晴らしの場でもあったようです。

また、高宗の頃には外国の公使達を招いて、宴会にも使用されたそうです。

ここが入り口の長楽門。
グループ見学のガイドさんは、ワイヤレスマイクとスピーカーで上手な日本語です。

門を入ると正面に演慶堂があります。

      
     母屋(アンチェ)女性用住居への小さな戸。            この演慶堂は舎廊棟(サランチェ)と呼ばれる男性用住居です。                   

両班の屋敷は儒教に従って、住居は男女別で低い塀で仕切られていますが、
内部はひとつにつながっているという、面白い設計になっています。

また、それぞれの家の来訪者を確認したり、
必要に応じて往来するための小さな戸が付けてあります。

母屋(アンチェ)と呼ばれる女性用住居。                    母屋から男性用住居への小さな戸。

 
 善香斎では本を保管しました。風通しがよさそうです。
西日を遮る可動式の工夫もひさしのところについています。

土台が低く、小さな縁側付きの長屋です。

 
 室内の床のメンテナンス作業です。               建具には白い紙が貼ってあります。

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愛蓮池

塀で囲まれた一角に、一枚の石から造ったという不老門が立っていました。
王の長寿への願いがこめられており、ここをくぐると年をとらないという言い伝えがあるそうです。

   

門を入ると、四角い愛蓮池と小さな館がありました。
池のほとりのこの愛蓮亭は1692年(粛宗 18)に建てられたそうです。

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尊徳亭一帯

ここから先の林の水辺には
趣向を凝らした東屋があちらこちらにみられました。

尊徳亭
尊徳亭は1642年(仁祖22)に建てられました。
四角い二重屋根で、凝った木組の天井に双竜図が描かれ、
正祖が書いた文書も掛かっています。

観覧亭
洗練された扇型の東屋です。

勝在亭
自然の中で見ても、色と形が美しいお堂でした。

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玉流川一帯

さらに奥に行くと周囲が渓谷になって来ます。
後苑の北の深い谷間からの流れが玉流川です。

1636年、16代仁祖(在位1623〜1649年)は巨大なを岩を削って溝を彫り
玉流川の渓流が落ちるように小さな滝を造り、曲水の宴を開いて風雅を楽しんだそうです。
宮廷に居ながらにして、渓流で遊ぶという贅沢、
これには驚かされました。


すぐ横の岩に刻まれた「玉流川 」の三文字は仁祖の親筆で
景色を詠んだ詩は粛宗のものだそうです。

右の大きな岩に文字や詩が彫られています。

渓谷の中に藁葺き屋根の東屋があります。

近くへ行くと、周りは玉流川の水を引いて造った水田でした。
民の生活を知るため、王みずから(?)田植えや稲刈りを行なったとのことです。
この屋根は、秋の収穫で刈り取った稲束を使用しているそうです。

こちらは田植えをした水田。           参考画像


本当にソウルの真ん中によくこんな渓谷や渓流がと思います。
昔、後苑に取り入れて以来、残されて来ているのでしょう。

青葉や紅葉の頃にも来てみたいものと思います。

ー続くー