17 June 2011

長崎訪問 その6  TH

【大浦天主堂】

 
50年前に見た大浦天主堂は
絵のように美しかったのを覚えています。
今でも変わっていませんように。
 
よかった、そのままでした。
 
こちらは司祭館です。
 
その隣にある、カトリック大浦教会(1975年)です。
天主堂見学者が多いため、通常のミサはこちらで行われるとのこと。

 
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大浦天主堂の歴史をすこし
 
1597年(慶長元)に長崎で殉教した26人の信者が
1862年(文久2)、ロ−マ教会により
聖人に加えられました。
 
「大浦天主堂」はそれを記念し、1864年(元治元)に建てられました。
正式名称は「26聖殉教者天主堂」です。

 
禁教下の居留地の大浦に建てられた創建時の天主堂です。
壁の「天主堂」の文字は
隠れた信者の来訪や告白に備えるものでした。
塔はゴシック様式、正面はロマネスク様式です。

 
1879年(明治12)に現在の完全ゴシック様式になりました。
現存する日本最古の教会で国宝となっています。

 
正面のマリア像はフランスから贈られたもので、台座に
「慶応元年3月17日」「信徒発見記念」とあります。
これに関しては、下記のレリ−フの碑文がありました。

 
「キリスト信者発見百周年記念碑」
1865年(慶応元)3月17日、浦上の農民15人が神父を訪れ
代々密かに守った信仰を告白したとあります。
これは欧州では奇跡として受けとめられました。
 

1981年のロ−マ法王ヨハネ・パウロ2世の来訪を記念した胸像がありました。
右は信者を発見したプチジャン神父の立像です。

 
 
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【浦上天主堂】

 
 
路面電車に乗りました。
懐かしい響きです。

 
浦上天主堂です。

 
    
現在の浦上天主堂                旧浦上天主堂

 
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浦上の歴史は受難の連続であったことがわかります。
ここは戦国時代イエズス会に寄進され布教・迫害された土地です。

 
1864年大浦天主堂の建設後、続発した浦上の信者達の告白に対し
明治新政府も幕府同様、弾圧政策をとり
1867年(明治元)
浦上の住民全員を各地に流罪、改宗をせまり多くが死亡しました。
欧州各国の非難を浴び、キリスト教が公式に解禁となるのは
1873年(明治6)のことでした。
 
その後信者達は苦難の末、1914年(大正3)
東洋一といわれた壮麗な旧浦上天主堂を建設しますが
1945年新型爆弾によって全壊
1959年(昭和34)再建されたのが現在の浦上天主堂です。