Weekend 桜のお勉強

4/1 2004更新

桜の名所

慶長の頃、幕府は向島や本所を洪水から守る目的で隅田川に、大堤を築造しました。
庶民が喜ぶ良いアイデアは?と考えた八代将軍吉宗、この地に桜の木を植えさせたのが
今でも桜の名所隅田堤(当時は言問橋北辺りから白鬚橋北まで)である・・・エライ!将軍様!

同様に江戸で最も開花の早い品川の御殿山、江戸庶民にとって最高の行楽地だった王子の
飛鳥山もこの時代の名残。

江戸の武家屋敷の庭園一切を請け負った造園屋さん達、彼等の本拠地がここ巣鴨・駒込・染井の村。
以来日本中に広まったソメイヨシノ、ここ染井村の吉野桜が元、絶妙のネーミングに驚かされます。

今日、東京で一番の桜の名所は?といえば上野、当時の上野の状況はというと・・・・・

広重 上野不忍池

咲く時期がずれるように種々の桜を植え、春の花の絶えぬよう考えられた上野山、しかしここ
には徳川家の菩提寺である寛永寺があって規則は相当厳しかったようです。
普段は閉じている黒門を、桜の時期にだけ開門し庶民の入山を許したのは良かった。。。
しかし飲酒は
OKだったけど江戸前の魚を食ったり、歌舞音曲の類はご法度!
事もあろうに門限が午後六時!

堅苦しいことが大嫌いだった江戸の若い男女、見ていた!?わけではありませんが「上野なんか
じゃやってらんねえよ!」とばかり隅田川や飛鳥山でドンちゃん騒ぎをやったのもうなずけます。

もう一つ隠れた桜の名所、それは吉原だったそうです。
初期の江戸の街建立の頃は男が人口の4分の3、危なっかしくて女性は街に出られません。自然の
成り行きとして遊里が出現したのはよいが、悪浪人の隠れ家になったりしてはなはだ宜しくない。
考えた幕府は、葦の原っぱに公認の遊郭を建て、葦原と名づけたのが後に吉原と呼ばれるようになった。
これが明暦の大火で焼けたのを機に、浅草の北にもっと絢爛豪華な大遊郭にして移転させ営業再開・・・・・
これが「新吉原」、街の通りには桜が並び、春には一層妖艶さを増したという。

この区画「新吉原」
明瞭に江戸の町割が確認できます。

芸能を中心にした粋な江戸文化はこうした”紅灯の巷”で育っていったのかもしれません。

言うまでもありませんが、桜の元で宴席設けた最初の記録は平安の風流人だそうです。

3/26 2004掲載

桜・桜・・・・・各地の開花情報見るだけで
ワクワク、ドキドキ

桜の種類は400種とも500種とも云われ確実なデータは不明のようです。
エドヒガンとオオシマザクラの交配から出来るのがご存知ソメイヨシノ、雑種です。
通常の交配では同じような数式
A+B=C が成り立つところなんですが・・・・・
桜に限ってはCだったりDだったり、はたまたQだったりと、これが雑多な種の
要因なんだそうです。
桜はバラ科、虫がつきやすく庭木には厄介者なのでしょうか、京都とは大違い
博多では個人宅では多く見られることはないようです。

寿命の短いソメイヨシノと違い、山桜には樹齢1000年を超えるものがあって
日本三大桜の一つ、ヤマトタケルノミコトが東征の帰り道、自ら手植えたという伝説
神代桜は樹齢2000年!

エドヒガン桜(国指定天然記念物)

山梨県北巨摩郡武川村山高地区にある実相寺境内にある桜です。

その二、樹齢1500余年根尾谷の淡墨桜

江戸彼岸桜

天然記念物指定

JR東海道線大垣駅から樽見鉄道に乗り換えて終点の樽見駅から徒歩5分。
名神高速大垣ICまたは羽島ICから国道157号線を淡墨公園方面(北)へ80分。

そして一番優雅な、三春の滝桜

江戸彼岸系紅枝垂桜

(樹齢1,000年)

JR磐越東線三春駅から県道40号線を郡山市方面へ車で15分。
磐越自動車道船引三春ICから国道300号線を経由し、県道40号線を郡山市方面へ車で15分。

日本画家中島千波も桜を数多く描いています。

三春滝桜

世の中に絶えて桜のなかりせば・・・・・

それはそれはつまらない春でしょう。

春の心はのどけからまし・・・・・

のどかでなくて良いのです。
いつかいつかと見頃を推し量る、緊張感あふれる春
そんな春に乾杯!!!!!