19 May 2015


5月連休の旅(1)犬山城と如庵

T.H.

連休初日の5月2日朝、新幹線で名古屋へ向かいました。
東京駅は大変な混雑で、人を追い越しながら先へ進むこともできず
のぞみ9号の発車ホームに着いたらもうこんな時間。




早く乗らないと。




名古屋で名鉄犬山線に乗り換え、犬山遊園駅へ向かいます。
特急のせいか乗ってみると中はガラガラ。
やっとゆったりした旅気分になれました。




「犬山遊園」に着きました。
名鉄電車、なかなかスマートですね。




「犬山遊園」は小さなのどかな駅です。
近くを流れる木曽川に沿って歩きながら犬山城へ向かいます。





(国宝)犬山城

犬山城は1537年に織田信長の叔父、
織田信康が木之下城より城郭を移して築いたといわれ
現存する日本最古の天守である事から
1952年(昭和27)に国宝に指定されています。

木曽川沿いの山の上に建てられた堅固な城は
経済上・交通上の重要な拠点として
戦国時代の攻防の舞台となり
城主もめまぐるしく交代しました。

江戸時代に入り
徳川家康の古い側近で
家康の9男の尾張藩主義直の補佐役だった成瀬正成
1617年に犬山城を拝領し
以後幕末まで9代にわたって城主と筆頭家老を務めました。



遠く山の上にお城が見えてきました。
右は木曽川です。






犬山城の別名「白帝城」は
江戸時代の学者荻生徂徠が名付けたもので
中国の長江のほとりの白帝城を詠んだ
以下の李白の詩にちなんだものだそうです。


朝(あした)に辞す白帝彩雲の間 
千里の江陵一日にして還(かえ)る 
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに 
軽舟已(すで)に過ぐ万重の山 





小さいお城ですがなかなか立派です。




それでは本丸へ向かいます。




立派な大手門です。




本丸の中はすでに大勢の観光客です。




間近で見る犬山城。
これが正面から見た姿です。




一応行った証拠です。




さっそく天守に登る行列に並びました。




入り口から上の2層は穴倉と呼ばれ
 天守を支える石垣や太い梁が見えます。
狭い階段を登りと下りですれ違いながら進みます。




穴倉の上が1階になっています。
ここも手すりが必要な急な階段です。




1階中央には殿様が座る畳敷きの「上段の間」が設けられています。
右の引き戸の奥は「武者隠しの間」
警護の武士が控える所です。




部屋の周囲には板張りの広い廊下が巡らされ
「武者走り」と呼ばれています。
当日は人で一杯でしたので参考画像でどうぞ。

                                        参考画像


2階の「武具の間」には武器を置く棚と
1/10の解体骨組模型がありました。




3階の「破風(はふ)の間」です。
外壁には南北に「唐破風」
東西には「千鳥羽破風が施され
各破風には太い縦格子と板の跳ね上げ窓がついています。

破風が増築されたのは江戸時代の成瀬家になってからといわれ
城が軍事的な拠点から城主の権威の象徴へと
変わっていったことがうかがわれます。


弓形にカーブした唐破風




優雅に反った千鳥羽破風です。




南側の格子から外を見たところです。




最上階4階の「高欄の間」に着きました。
天守の高さは19mで
戦国時代は見張り台及び司令塔だったところです。
外の「廻り縁」に出ると、快晴でもあり素晴らしい眺めでした。

木曽川の川上方向です。




当時木曽川を挟んでこちらは尾張、対岸は美濃の国でした。




かつてはここからお城の全体が見渡せたことでしょう。
今はこの天守だけが残っています。




壁には絵や写真が掲げられていました。




戦国時代の興亡を物語る成瀬家以前の城主たちの名前も。
1537年から1612年迄に14人です。




こちらが犬山城の初代城主成瀬正成です。




9代城主成瀬正肥の時に廃藩置県となりました。




1869年(明治2)の版籍奉還の際
成瀬家は犬山藩知事に任命され犬山藩が成立します。

そして2年後の1871年(明治4)の廃藩置県と共に
城は愛知県の所有となり、天守以外のほとんどの建物が取り壊されました。
成瀬家による城主も9代で終わりを迎えます。

ところが1891年(明治24)の濃尾大地震で
天守と城門の一部が倒壊すると
犬山城は修復を条件に再び成瀬家に譲与されました。
募られた義援金で修復は完了し
犬山城は全国唯一の個人所有の城として今日まで維持されました。

そして2004年に財団法人が設立され
現在は13代成瀬家当主の女性の方が運営なさっているそうです。

最近は日本各地で城郭が整備され
その姿を楽しむことが出来ますが
ひとつひとつの歴史も興味深いですね。

http://inuyama-castle.jp
http://www.inuyamajohb.org/index01.html



*****



(国宝)如庵



犬山城から歩いてすぐの所にある
名鉄犬山グランドホテル内の「有楽苑」にやってきました。




ここ有楽苑には
織田信長の実弟で
千利休門下の茶人として知られる
織田有楽斎(織田長益)(1547〜1622年)が建てた
国宝の茶室「如庵」があるという事で楽しみにやってきました。



織田長益像




有楽斎は織田家、豊臣家、徳川家にも仕えて
戦国の世を生きた武将であり、茶人です。
大阪冬の陣の後に豊臣の陣を離れた後
1618年に
古く茶の湯の伝統を持つ京都の建仁寺
塔頭として正伝院を再建して隠棲し
如庵を建てて茶の湯三昧に生きたとされています。
如庵は有楽斎のキリシタン名ジョアンによるとのことです。

明治の初め、正伝院の移転の際、建物は残され
如庵は祇園の有志によって買い取られます。
その後明治41年に三井家に売却され
東京の本邸や大磯の別荘を転々として
昭和47年に名古屋鉄道によって
この地に落ち着きました。
国宝に指定されたのは昭和26年のことでした。



有楽苑の中を順路に沿って散策しました。
広い敷地に
(国宝) 如庵、(重要文化財) 旧正伝院書院、(復元)元庵
そして苑内で行われる茶会用の席、由緒ある門や灯籠などが
木々や小径の中に巧みに配置されています。
先程の犬山城の人垣がうそのような静けさです。




こちらは元庵です。
有楽斎が大阪・天満に構えた茶室を
古図にもとづいて復元したものだそうです。
竹林と小さな門が素敵です。




(重要文化財) 旧正伝院書院の正面です。
こちらは如庵と共に移築されたもので
京都建仁寺に有楽斎の隠居所として建てられました。




書院の傍の露地より含翠門を見たところ。







萱門です。この奥に如庵があります。




先ほどの(重要文化財) 旧正伝院書院の縁側です
こちら側の方が古い趣がありました。




庭先から見た旧正伝院書院の内部




実はあとから知ったのですが右奥には
長谷川等伯や狩野山雪の絵が残されているとのこと。

                                      参考画像


そしてその隣に如庵が建っていました。
約400年経っています。
はじめからここにあるようなひっそりとした風情に思えました。







傍にある有楽好み井筒




再び萱門に戻ります




名残を惜しみながら萱門を出ました。




信長の叔父さんが建てた犬山城と
弟が建てた如庵が
こうして織田家発祥の尾張の地に
共に国宝として隣同士で保存されているのは
なんとも不思議で興味深い結末と思いました。


苑内はまだいろいろと趣があり
お茶をなさる方には尽きない楽しさのあるところだと思いました。
今回は予定が詰まっていましたので次へ急ぎました。
またゆっくりと来たいものです。

ー続くー