09 Oct. 2018

「爽筑会 太子町あたり」・・・・・さすさら


10月6日(木)。台風25号が福岡あたりにやって来る頃なのだ。
 

朝10時に、この4人がやって来たのだ。
 

近鉄南大阪線の上ノ太子町駅に集合なのだ。
   幹事からの説明を聞いているのだ。
 

ここいら辺なのだ。
 

雨が降ったり、止んだりの変な天気の中を11名が歩くのだ。
 

まずはここへ。壷井八幡宮。
 

よく読むように。
   ここいらは、源氏の本拠地で、源頼信が河内の国司になって、
   頼義、義家の3代に渡り、この地を治めたのだ。
 

この井戸なのだ。
 

これもよく読むように。
 

 
 

なかなかのものなのだ。
 

 

記念撮影。
 

階段が急なのだ。
 

続いては、ここへ。
   通法寺跡。門だけが残っている。
   河内源氏の菩提寺で、八幡太郎義家、その父の頼義、祖父の
   頼信の三代の墓があったのだ。
   鎌倉幕府を開く頼朝は、この河内源氏の末裔。
 

うろうろと。
 

コンビニがなく、やっと見つけたのだ。ここでビールを買うのだ。
 

叡福寺なのだ。
 

ここは広いのだ。
 

 

622年(推古30)、聖徳太子が没するとここへ葬られ、推古天皇の
   勅により建立された。
   724年、聖武天皇により七堂伽藍が整備された。
 

珍しい二重の塔は見惚れるのだ。
 

 

八尾市の下の太子(大聖勝軍寺)、羽曳野市の中の太子(野中寺)
   に対し、叡福寺は「上の太子」と呼ばれ、河内三太子なのだ。
 

 

 

毘沙門天像は弘仁前後の秀作なのだ。
 

境内正面奥の陵には太子の生母と太子の妃も葬られており、
   三骨一廟といわれるのだ。
 

 

弘法大師をはじめ、多くの高僧が廟内で修業をしたところで、
   我が国仏教の聖地としても重要な位置をしめているのだ。
 

 

お昼なのだ。叡福寺の隣にある公園で食事。
   はなママさんの手作りの料理が美味しいのだ。
 

昼の宴会を楽しんで、ここへ。
 

推古天皇陵。宮内庁なのだ。
 

皆、軟弱なのだ。階段を登れないのだ。
 

この看板がなければ、分からんなぁー!
 

推古天皇陵の南東200mにある双方墳という珍しい形の古墳。
   連続した二つの方墳には、ほぼ同形同大の横穴式石室に
   家型石棺があり、ここが真の推古天皇と竹田皇子の合葬陵とも
   伝えられているのだ。
 

次はここ。小野妹子なのだ。
 

階段を上がるとこんな感じ。ちょっと寂しいのだ。
 

 

科長神社なのだ。
 

雨も止んで、暑い、暑い!休憩中。
 

 

ここを歩くのだ。
 

100円だが、入らなかったのだ。
 

ここで勉強をするのだ。
 

推古天皇が「難波より京に至る大道を置く」と記された
   我が国最古の官道なのだ。
   約26kmの街道。
   推古、敏達、用明、孝徳天皇の後陵、そして聖徳太子御廟が
   営まれたこの地は、飛鳥朝廷の大切な地なのだ。
 

冷房が利いていて、気持ちが良いのだ。
 

館長さんにシャッターを頼んだのだ。
 

太子町も楽しかったのだ。
 

 

天王寺で打ち上げなのだ。
 

 

本日はこんだけ。
 
676 ここを歩いたのだ。
 

近畿修猷会で年2回発行なのだ。
   こんどの館長は若いのだ。
 

なかなかの名文なのだ。
 

以上