13 Nov. 2018

2018年9月 スイスへの旅(9)ベルン





山岳地帯からスイスの首都ベルンへとやってきました。
旧市街のシティホテルでの朝食風景です。




ホテルは駅に近い、旧市街の中にある古い建物でした。



 
ベルンはチューリッヒ、ジュネーブ、バーゼルに次ぐ、スイス4番目の都市で
1848年にスイス連邦の首都になりました。

12世紀にアーレ川の河畔に、要塞として建設されたのが起源で
15世紀初めの大火事の後に、石造りで再興されて以降、
戦災に遭っていない旧市街は
スイスの都市の中でも、最も中世の街並みを残しており
1983年に世界遺産に登録されています。

旧市街はコンパクトで
ベルン駅から街の東端のアーレ川まで約1.6km
南北の幅は時計塔のあたりで約600mです。





【マーケット】


朝食後、旧市街の中を歩いてみました。
ここはベーレン広場のマーケットで、これから店開きが始まるようです。
後ろに見えるのは、連邦議会議事堂です。




生活用品や雑貨が並んでいます。




土地柄、登山シューズが山と積まれていました。





【噴水】


石造りの円形の噴水に立つ高い塔の上に
赤い軍旗を持つ兵士の像が据えられています。
塔の下から管を通って水が四方に出る、ブルンネンと呼ばれる噴水です。

帰国したあと知ったのですが
この像には「射撃手の噴水」(1534年)という名が付いています。
よく見ると足元で鉄砲を構えている子熊が射撃手のようです。




ベルンは中世の昔から湧き水が豊富で、
人々はここで大切な水を汲み、交流し、親しみを込めて噴水に呼び名をつけました。
当時は街の中に100箇所ほどあったそうです。

今は旧市街の中の11基の噴水が、観光名所になっています。



【時計塔】


時計塔の前は、大勢の観光客で賑わっています。
この建物は12世紀の当時は
外敵から街を防衛する西門の役割を担っていました。

時計塔として使用されるようになったのは
1405年の大火の後に、再建されてからのことだそうです。




時計塔の文字盤の左下の天文時計は、天動説をベースに
15世紀初めに作られたと考えられており
右下の小さなからくり人形仕掛けは、1530年頃に作られたもので、
毎時間ごとに、時を知らせる鐘が鳴り、人形が動くようにセットされています。




時計塔の前に
軍旗を持ち、馬上槍試合の甲冑を身に付けた熊の像が立つ
「ツェーリンゲンの噴水」(1535年)がありました。
 




この熊の像は、
ベルンの基礎を築いた、ツェーリンゲン大公・ベルトルト5世が
1191年に森を開墾して作った町の名を決める際、
狩りで最初に捕らえた獲物の名にすることを思い付き、
その結果、Bern(熊)と決まった事に由来するのだそうです。




こちらは旧市街の中にあるベルトルト5世の銅像です。
周りに並んでいるのは4頭の熊の像であることから
ベルンの起源と熊は深く結びついているようです。
 残念ながら今回の旅では見落としてしまいましたので参考画像です。

参考画像



【牢獄塔】


こちらは牢獄塔と呼ばれ
ベルンの街が13世紀に西に拡張され
時計塔に変わって、新たな西門として造られた建物です。

現在の建物は17世紀半ばに再建されたもので
1897年まで、実際に女性専用の牢獄として使用されていたとのことです。




牢獄塔のアーチの下には、時計塔と同様に路面電車のレールが敷かれ
世界遺産と市民生活とが共存していました。




牢獄塔の前に、色彩鮮やかな女性像の噴水がありました。




「アンナ・ザイラーの噴水」(1548〜49年)です。
彼女は裕福な身分でしたが、私財を投げ打ち、
ベルンに初めての病院を建てた偉大な女性とのことです。





【市庁舎】

ベルンの可愛い市庁舎です。
通りから奥まった所にあり
階段の装飾や、2階のアーチの女神像が素敵です。




市庁舎の前にあるオープンカフェの中にも
さり気なく「旗士の噴水」(1542年)がありました。




立っているのはベルンの旗を掲げる甲冑姿の指揮官です。
やはり熊を連れています。




こちらの通りには
「バグパイプ吹きの噴水」(1545〜46年)がありました。




この像は、中世の貧しい音楽家たちが演奏する姿を
讃えたものということです。




ベルンの噴水について予備知識が無かったため、
残念ながら11基全部は見ないで、帰って来てしまいました。

サイトで見るとどれも16世紀のユニークな作品で、
年を経た石造り建築や石畳との調和も美しく、
ヨーロッパならではと感心させられました。
せっかくですので、以下参考画像でどうぞ。

左から 正義の女神の噴水  モーゼの噴水  サムソンの噴水




左から リフリの噴水  子喰いの噴水   伝令の噴水
 





【アーケード】


ベルンの旧市街の石造りの建物は、このように外壁が裾広がりに前に出て
1階の内側がアーケードでつながっています。

この構造は1405年の大火のあと、石造りとなった時からのもので
ベルンのアーケードの総延長は6kmにも及び
ヨーロッパで一番長いそうです。




1階には軒並み素敵なお店が入り
降っても照っても、このように快適に歩けるようになっています。




ウインドを覗きながら歩きました。
こちらは機械部品や工具のお洒落なデイスプレイ。




種類も豊富なベーカリー。




ナッツチョコレートがこんなに!
板状に作り、割って量り売りにするようです。




英国家具のお店。




どの時計もエレガント。




額縁ショップです。




秋色の素敵なバッグやショール。




ミニチュアの職業別お人形。




そして演奏中の可愛い木製フィギュア。
クリスマス用でしょうか。





【アインシュタイン ハウス】

アーケードを歩いていると、




このような表示が出ていました。




ここはクラム通り49番地。
物理学者、アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)が
1903年から1905年まで
住んでいた家とのことです。この真ん中の家です。




階段を昇って
中へ入ってみましょう。




入り口近くに置かれてあった、家具やミラーです。写真もありました。

   


そして居心地の良い居間がありました。




家族写真が並ぶ窓辺です。
これらを見ながら、当時をたどってみました。




アインシュタインは1879年に、
当時のドイツ帝国のウルムで、生まれました。




     左 幼少時             右 6歳時 妹マリアと

  
参考画像


1894年まで、ミュンヘンで学校教育を受けました。
これは1893年、14歳時のアインシュタインです。





その後1896年から1900年まで、
スイスのチューリッヒ連邦工科大学で学びます。

左は大学で学んだ頃のアインシュタイン
右は同級生で後に妻となるミレーバ・マリッチ。




卒業時、21歳のアインシュタインです。

参考画像


卒業したアインシュタインは
1902年にベルンの特許局に採用され、スイス国籍も取得します。
下記はベルンに住むことが決まり、
婚約者のミレーバに宛てた手紙です。

「私はベルンをこよなく愛しています。
ここは古くて、歴史的に確かなものがあり、楽しい街だからです。
通りの両側にはアーケードがあり、
雨の日も濡れずに街中を歩くことができます。」

1903年にミレーバとベルンで結婚し、この家で新婚生活をスタートさせました。

1904年には長男ハンス・アルバートも誕生し、特許局での仕事のかたわら
自分の研究に没頭しました。




こうして1905年に
特殊相対性理論を含む「3つの偉大な論文」を相次いで発表
これが学会に受け入れられるきっかけとなりました。
後年この年は「奇跡の年」と言われるようになり、
アインシュタイン自身も後年、
「相対性理論はベルンのクラム通り49番地で生まれた」
と語ったとのことです。

1905年、26歳時の写真です。




入り口のミラーの前に置かれていたその頃の家族写真です。




アインシュタインがこの家に住んだのは1905年までで
その後1909年にチューリッヒ連邦工科大学の準教授に決まったのを機に
特許局を辞め、ベルンからチューリッヒへ移りました。




   このほか業績についての展示もありました。




この家で家族を持ち、最も重要な論文を発表した
20代のアインシュタインの生活を、掲示されていた写真で偲びました。

その後の、国籍や住む場所の変遷が示す人生を知ると、
ベルンでの生活は、おそらく最も充実した幸せな日々だったのではないかと
思いながら、当時の螺旋階段を通って外へ出ました。




【バラ公園】


アーレ川をはさんだ対岸の、東の高台にあるバラ公園に向かうため
ニーデック橋を渡っています。
橋のたもとのニーデック教会付近は、ベルン発祥の砦があった所とのこと。




新旧の形の違いはあるようですが、
屋根にはすべて伝統的な明かり窓がつけられ、赤褐色に統一されて
今なお中世都市の雰囲気が守られているようです。




街の中をエメラルドグリーンの川が流れています!
中世風の赤褐色の屋根との対比がなんとも言えません。

よく見ると流れが向こう側に急カーブしています。




そして橋の反対側でも同じように流れが急カーブを描いており、
なるほど地図の通り、このニーデック橋付近が、川の湾曲の先端のようです。

また、右に見える大聖堂が相当高台にあることから、
ベルンの街が湾曲した川の内側に、要塞として築かれたことが実感されました。




バラは季節のせいか、咲いていたのはこれだけでした。
バラ公園は広いので花壇はもっと別の場所だったのかもしれません。




バラ公園からの旧市街の眺めです。
高い木で見えませんが、アーレ川は手前を流れています。
左下のアーチ橋は、先ほど通ってきたニーデック橋です。
正面の大聖堂はさすがに抜きん出た高さです。




近くのベンチで、この方をお見かけしました。
お散歩ですか? 先ほどお宅を拝見しましたよ。




バラ公園から降りて来た所からの眺めです。
右のニーデック橋を渡って旧市街へと戻りました。




それにしても澄みきった流れには驚きました。
雪解け水が流れてくるのでしょうか?





【大聖堂】


ベルン大聖堂は1421年に着工し、1893年にようやく完成しました。
高さ約100mの塔を持つ、
スイス最大規模の後期ゴシック様式の聖堂です。

この日は大聖堂は足場が組まれ、修復中でしたので
塔に上がって景色を見ることは出来ませんでしたが、




正面扉の「最後の審判」のレリーフを
見ることが出来ました。




このレリーフの場面では
外側のアーチの中央にキリストが座り、
両脇にマリアと洗礼者ヨハネ、さらにその左右に12人の使徒が控え
二番目、三番目のアーチに、預言者や天使たちが並んでいます。

丸窓の下では、大天使ミカエルが剣を振り上げ、
死者を左の天国に行く者と、右の地獄に行く者とに分けています。

最後の審判の表現が威圧的にならず、どこかのびやかで美しいところが
ベルンの雰囲気に合っているような気がしました。




聖堂内にも入ることができました。









【キルヒェンフェルト橋】

このあとキルヒェンフルト橋を通って、ヘルベテア広場の方へ行きました。
いろいろな記念碑が建っています。








ベルン歴史博物館です。門柱の上をご覧ください。
やはり熊が座っています!

今回は残念ながら時間の関係で中には入れませんでした。




最後にキルヒェンフルト橋からの眺望を楽しみました

左方向に見える連邦議会議事堂は
20世紀初頭に完成したものだそうです。




そして右方向に大聖堂。

二つの建物は、美しい川に3方を囲まれた高台という
ベルン特有の立地によって、いっそう立派に見えていました。




このあと旧市街に戻り
ドイツ語圏の代表的な家庭料理、レシュティを食べました。

ジャガイモの千切りをバターで半生に炒め、
チーズや具をのせて、オーブンで焼き、とろり、ほくほくでいただきます。

お味は大変美味しいのですが、大量のチーズにちょっと慣れていないので
丸い容器の四分の1か、半分食べられればいい方でした。

聞くところによると、レシュティはフランス語圏ではあまり食されず
この料理が両文化の微妙な溝を象徴しているそうです。




午後ベルン駅をあとにしました。
さすがに首都で、大変近代的な立派な駅でした。



ー続くー