11 Jun. 2018

「イスラム・スペインとは」・・・・・k.mitiko

イスラム・スペインとは

             もう一つの文明の十字路

 

ヨーロッパの文化について考えるとき、まず14世紀のルネッサンスを

思い起しますが、そのルネッサンスよりもずっと前に、イスラム統治下の

スペインにおいて人間性豊かな文化が存在していたことをご存知でしょうか。

 

それは芸術的、科学的、商業的だっただけでなく、同時に信じられないほどの

寛容さ、豊かな創造性、詩情を含んでいたものです。

 

古代ギリシャの輝かしい伝統は、古代ローマよりもイスラム世界経由して

アラビア世界に伝わり、シチリアやスペインからヨーロッパに広がりました。

 

彼らの文明こそがヨーロッパを啓蒙し、暗黒時代から抜け出す案内役を担い、

ルネッサンスへのきっかけを与えたものと言われています。彼らの与えた

文化的、知的影響は、スペインの南部地域に今も見ることができます。

 

ひとくちに「ヨーロッパ」といってもそれぞれに違う歴史を経て、形成された

国々なので文化も少しずつ異なりますが、違いが特に際立つのがスペインです。

その違いを決定づけたカギはスペインが位置するイベリア半島が歩んできた

歴史にあります。

 

八世紀のはじめ、イスラム教徒は幅15kに満たないジブラルタル海峡を渡り、

その昔ローマ軍が約200年かけて平定したイベリア半島を、たった2年で

征服しました。そのうえ彼らたちは足掛け800年もこの地にとどまることに

なりました。

 

中世の大部分をイスラム王朝の支配下で過ごしたイベリア半島。それは

800年にわたるキリスト教勢力との戦いの歴史でもあり、またその

結果としてスペインに独特の文化がうまれました。

 

スペイン語には4000を超えるアラビア語由来の言葉があるとされ、

地名にもイベリア半島で栄えたイスラム王朝やアラビア語ゆらいのものが

多く見られます。また、フラメンコに使われる音楽も北アフリカの伝統音楽の

影響を受けていると言われています。

 

料理においても中東、北アフリカで多く用いられるサフランやひよこ豆を

取り入れているのもイスラム文化の影響です。

 

スペインのアンダルシア地方を中心とするイスラム勢力統治下のイベリア半島の

南部一帯はアルアンダルスと呼ばれ、 ムスリム(イスラム教徒)、ユダヤ人、

キリスト教徒が寛容の文化を育んだ場所で、800年にわたって独自の文化が

花開きました。

 

複雑な歴史を経たからこそ、魅力的な文化として現在では世界中の人々を惹き

つけているのかもしれません。

 

コルドバのラ・メスキータ(大モスク)やグラナダのアルハンブラ宮殿などは

スペインがイスラム勢力からキリスト教政権に変わっても、当時の威容を

今もとどめています。

 

コルドバはアルアンダルスの首都として、当時の西欧のもっとも重要な街になり、

芸術、文化が培われ、それが寛容の精神をもたらし、イスラム、カトリック、

ユダヤの平和共存を生みました。その最盛期には世界屈指の大都市で、パリの

人口が2万人、ロンドンは2,5万人あった時期にコルドバは45万人あったといわれています。

 

10世紀末、コルドバはヨーロッパの人間にとって、知識の宝庫でした。学生

たちはフランスやイギリスから哲学、科学、医学を学ぶため、ムスリム、

キリスト教、ユダヤ教学者たちの教えを乞いに旅をしてきました。コルドバの

大図書館だけでも、60万冊の写本が存在してました。

 

11万3000の住宅、600のモスク、300の浴場、50の病院、80の

公立学校、17の大学と高校、20の公共図書館があり、科学、医学、文学、

音楽がみごとに開花し、当時のヨーロッパでは想像もできないことでした。

街も大きく広がり、あらゆる種類の商店が軒をつらね、950年頃には街は

舗装されて牛車で定期的に清掃されていました。

 

この豊かで洗練された社会は、他信仰に対して寛容な立場をとりました。

当時のヨーロッパにおいて、寛容の精神は前代未聞のものでした。

しかしムスリム統治下のスペインでは何千人ものユダヤ教徒やキリスト教徒、

ムスリム教徒たちが安心と調和によって共存していたのです。

 

コーランには「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ。知識を求めて努力する

者は、神に祈る」「たとえ不信者の唇からであっても知識を受け取れ」と

記され、預言者マホメッドみずから励ましています。アルアンダルスでは

「書物の質と量」がステータスになっていました。

 

八世紀なかばからアルアンダルスのイスラム王朝の歴代の王により

メスキータ(モスク)の建築が始まり、増築されて当時世界最大の

モスクになりました。やがてキリスト教国軍によるレコンキスタ

(国土回復戦争)の結果、メスキータは、勝利したキリスト教統治の

もと改築が計画されましたが、メスキータを愛し、改築工事に参加した

建築家たちは、可能な限りイスラム時代の建築を守ろうとしました。

 

これほどまでモスクが元の形を残しながらキリスト教会に生まれ変った例は

他にはないそうで、そういう意味で、世界で唯一のものです。この

メスキータは二つの宗教から生まれた奇跡の美が、競い合い融合しあって

一層輝いているところです。

 

 

イベリア半島の南部でイスラム文化の花を開かせていたイスラム王朝も

内部の絶え間ない権力闘争と北部のキリスト教国軍の南下によって衰退に

向かいつつあるときに最後の輝きを見せたのが、グラナダのアルハンブラ

宮殿でした。

 

13世紀から14世紀にかけられて建てられたこのイスラム建築は、現在

世界遺産でもありますが、同じ世界遺産のエジプトのピラミッドや

ギリシャのパルテノン神殿にくらべてここにはピラミッドのような

スケールの大きさもなければ、パルテノン神殿のように人を威圧する

力強さもありません。

 

イスラム文化が終焉を向えようとする時期に、いたる所に甘美なアラベスク

模様と噴水をあしらい、城壁と塔に囲まれた宮殿。精巧な装飾空間などイスラム

建築の粋を集めたアルハンブラ宮殿は、人類が創造したもっともロマンチックな

建築と言われ、過ぎ去りしイスラム文化の象徴、世界最高の建築と言われて

います。

 

イスラム教徒に占領されたイベリア半島をキリスト教徒が奪回する戦い

(レコンキスタ)は、711年のイスラム侵入後から、1492年のグラナダ

開城まで続きました。この戦いからは「ロランの歌」「エルシドの歌」などの

優れた叙事詩が生まれ、フランスとスペインでは現代も多くの人々に愛好されています。

 

1492年、圧倒的なキリスト教軍のまえに力つきたイスラム王朝最後の王ボアブディルに

よってスペインのカトリック両王に(アラゴンのフエルナンド王とカスティリアの

イザベッラ女王の結婚による)アルハンブラ宮殿の鍵が手渡されて無血開城し、

ここにキリスト教スペインが成立しました。

 

その後のスペインはカトリック王国としてイスラムスペインの文化遺産のうえに

力をつけ、ヨーロッパに覇遣国家として乗り出していきました。いつしか

イスラムスペインのことは忘れ去られ、それが正統に評価されるようになったのは、

20世紀のフランコ総統の死後になってからでした。スペインはシチリアとともに

文明の十字路と言われています。

 

参考資料

 

イスラム・スペイン千一夜  小西章子

スペインの歴史          立石博高 関哲行 中川功 中塚次郎

現代アルハンブラ物語   大塚勝弘

イスラームの美術        桝屋友子

ラ・メスキータ           写真集