11 Jun. 2018

2018年5月連休 四国城めぐり(1)高松城


初めての四国旅となりました。
国内シニア旅行をするうちに、いつの間にかお城見物も回を重ねて来ましたが、
今回は「現存12天守」のうち、四国にある
丸亀城 高知城 松山城 宇和島城の4城に、
せっかく行くのだからと
高松城 今治城 大洲城も加え
計7城をまわってみました。

JR四国に揺られながら、
山を越えたり、海岸線をたどったりの旅になりました。





5月2日、東京発17:30の新幹線「のぞみ55号」で高松へと出発しました。




途中岡山で山陽新幹線から瀬戸大橋線に乗り継ぎです。




次は「快速マリンライナー高松行」です。もう夜の9時を過ぎました。




今回乗ったのは1階指定席。雨模様の真っ暗な瀬戸大橋を渡りました。
晴れた昼間なら、ぜひ2階グリーン席から瀬戸内海を見たいものです。




高松着、生まれて初めて四国に降り立ちました。
電車の先頭まで歩く間に、行き先表示が「岡山」に変わったりして。




瀬戸大橋線も今年で完成30周年とのこと。




高松駅広場は雨でした。
「JRホテル・クレメント高松」は目の前です。




夜更けのロビーは既に静かで




5月人形が飾られていました。







明けて5月3日朝、ホテルの客室の窓から見えた、源平の古戦場「屋島」です。




明るくなると、眼下に緑に囲まれた高松城跡も見えて来ました。




外は昨夜の雨も上がったようです。




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【高松城跡】


朝食後、ホテル前の玉藻公園へ出かけました。
玉藻とは讃岐の枕詞で、玉藻公園は高松城跡を整備した公園です。




高松城跡の西門が見えてきました。







高松城は、1587年に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた
生駒氏により築城されました。
その後1642年、徳川家康の孫で、水戸の徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたる、
下館藩主松平頼重が入城し
高松城は明治維新までの228年間、松平家11代の居城となりました。

高松藩松平家は、彦根藩井伊家や会津藩松平家と共に
代々将軍の政治顧問を務め、高い家格を誇り
拡張された城郭を中心に12万石の城下町として栄えましたが、
明治以降、高松城の総面積は当時の8分の1になっています。


松平頼重像(1622年〜1695年)参考画像



高松城跡案内図です。左上の西門から入りました





月見櫓・水手御門・渡櫓(重文)

西門から入った突き当たりに、
海上を往来する船を監視した月見櫓(1676建造がありました。
格調高い三重櫓で、右に続櫓、水手御門、渡櫓と続いています。
これら一連の櫓群は海に向かった大手門の役割を果たしていました。




今は埋め立てられて
月見櫓と高松港の間には国道が通っていますが
かつては海の上にそびえる城でした。
(ホテル客室より撮影)




今は空濠ですが、往時はこの階段の付いた水手御門から藩主が小舟に乗り、
沖で御座船に乗り換えて、遊覧や参勤交代に出発したとのことです。




下図は1755年に描かれた、高松藩主の御座船飛竜丸」です。
1092石の豪華な屋形舟で、水夫90人が同乗したとのこと。


「高松藩飛竜丸船明細切絵図」 香川県立ミュージアム蔵 参考画像


高松城は、城を囲む外濠・中濠・内濠に瀬戸内海の海水を引き込んだ海城で、
今治城、中津城と共に日本三大水城の1つに数えられています。

現在も城内に残る濠には、
下図の水門を通して瀬戸内海の海水が導入されており、
潮の干満による水位が調節されています。




濠の中にはマダイやクロダイが棲息し、餌をやると黒い魚影が寄ってきます。





披雲閣(重文)

こちらは、藩の政庁および藩主の屋敷として使われていた披雲閣の正面玄関で
1917年に松平家高松別邸として、建て替えられたものです。
1954年に城跡とともに高松市に譲渡されました。




立派な瓦葺木造建築です。




よく手入れされた庭園の松の植え込みです。




巨大な大名灯籠もありました。








旧東の丸 艮(うしとら)櫓(重文)


高松城の南東の隅に立つこの艮櫓
1677年に東の丸の北東(うしとら)の位置に建てられた隅櫓でしたが、
1965年に現在の位置に移築されたのだそうです。

こちらも月見櫓と同時代の三重櫓で、
立派な千鳥破風と唐破風が付いています。




艮櫓を城の外から見るために、
いったん東口の旭門から外へ出させてもらいました。




振り返って見た旭門。
門の内側には、桝形(ますがた)の石垣が見えます。




城外から見る艮櫓は濠に囲まれて更に立派です。
右の旭門・旭橋が大手門となっています。




お城の脇を、琴平電鉄が走ります。




旭門の右手には、小さく月見櫓の屋根も見えています。
再び城内に入れてもらいました。





天守台と鞘橋


本丸跡跡まで来ました。
本丸は濠に浮かぶ孤島で、右奥に見える鞘橋(さやばし)1本で二の丸とつながっています。
こちらの台形をした石垣は、かつて天守が建っていた天守台で、
本丸から突き出ています。




二の丸まで来ました。
屋根の付いた長い鞘橋です。
1本しかないこの橋が敵に落とされたり、
自ら落としたりしたらどうなるのかという心配もありますが。




本丸へと渡りましょう。





最近石垣修理を終えたばかりの天守台です。
高松城の天守は1669年に建てられましたが
残念ながら1884年に老朽化により取り壊されています。
現在高松市では、この台の上に、再び天守を復元する計画が進行中です。




こちらはイギリスのケンブリッジ大学で最近発見された、
解体2年前の姿を残す1882年撮影の、高松城天守閣の貴重な古写真ですが
なるほど屋根の傷みが著しいです。
このような参考資料も添えて、文化庁に建設許可を申請中とのことです。


参考画像


こちらは高松城天守の復元CGだそうです。
貴重な現存の櫓に違和感なくマッチしてほしいものですね。


参考画像


天守台の上に設けられた展望デッキに上がりました。
突き当たりの水門と、瀬戸内海の島々が見えます。




左に目をやると、鞘橋と二の丸跡、
昨夜泊まったホテルの白い建物も見えます。




再び西門へ戻ってきました。
天守こそ現存していませんが、立派な櫓と、屋敷と庭園、
そして平地に繰り広げられた水城の風情がコンパクトに納まった高松城跡でした。




ー続くー