08 Apr. 2018

2015年11月 琵琶湖周辺の旅(6)木ノ本と高月

T.H,


最後にJR北陸本線の木ノ本高月(たかつき)を訪ねました。
ここは長浜市で、琵琶湖の北端です。



JR木ノ本駅に着きました。




ここ奥琵琶湖の一帯は、
仏教伝来以降、北陸白山の観音信仰と大和仏教とが融合した、
独特の湖北仏教文化圏が形成されたところだそうです。

60箇所余りの里に安置された観音堂のうち
今回は下の地図に赤で示した3箇所だけ巡ってきました。




  1. 【 己高閣・世代閣(木ノ本)

木ノ本駅の東に広がる己高山(こだかみやま)山麓一帯は、近江の国の北東にあたり、鬼門とされていたため、
奈良、平安の頃には、
山中に多くの寺社が建てられ、
仏像や神像も数多く安置されました。
各時代、保護され、維持されたところもありましたが
多くの寺は政変や戦乱、宗教的変遷など様々な困難に見舞われ、
近代以降はすべて山里に下り、または廃寺となりました。

そのような中にあって、篤い信仰を寄せていた里人等の献身により、
多くの貴重な仏像や寺宝が、今日まで守られて来たとのことです。
特に十一面観音の数が多いことで知られ、観音巡りも盛んです。


木ノ本駅から約5kmの古橋地区にある、与志漏(よしろ)神社にやって来ました
神社の境内には、湖北の早い紅葉を見に、多くの人々が訪れていました。







社伝によれば、この神社の起源は仲哀天皇の昔にさかのぼるとのこと。




拝殿です。




本殿脇を通り、さらに奥の方へ。




境内の一角に、かつて己高山の諸寺に収められていた仏像仏画、古文書などを
一箇所に集めて、安全に管理する2棟の文化財収蔵庫、
己高閣(ここうかく)世代閣(よしろかく)が建っていました。

両方とも小ぶりな建物でしたが、火災や盗難から文化財を守るために
分厚い扉や窓が付いていました。
管理運営はすべて、地区住民によって行われているとのことで、
駐車場での誘導や、受付、解説に当たる方々の姿が見られました。



《己高閣》
己高閣は1963年に、国庫補助を受けて建設されました。




特に印象に残った仏像は、
かつて己高山の中心寺院であった、
己高山
鶏足寺(けいそくじ)の本尊、
十一面観音立像重文 平安前期)です。
ヒノキ一木彫の等身の立像で、彩色を残しています。

広い肩幅や、直立した素朴な風貌は
しっかりした村のお内儀さんをモデルにしたのではと
書かれた解説もありました。


十一面観音立像(重文 己高山
鶏足寺 平安前期)参考画像



参考画像


鶏足寺伝承によれば、奈良時代724年に行基によって建立され、
いったん荒廃したものを、
平安時代799年に最澄が再興して天台寺院として栄えましたが
今は寺跡が残るだけとのことです。
下記は与志漏神社境内にあった解説です。




《世代閣》

世代閣は1989年に地域の人々の浄財で建てられたものだそうです。




こちらの主な収蔵品は、古くから与志漏神社と依存関係にあった、
世代山戸岩寺の本尊、薬師如来立像重文 奈良時代)です。
奈良時代に行基により開かれた当時のものといわれ、
湖国で最古の像といわれています。
クスノキの一木彫で、天平時代の特徴を示しているそうです。


薬師如来立像重文 世代山戸岩寺 奈良時代)参考画像


境内には鐘楼もありました。
かつてここにあったお寺の跡でしょうか。



山中のお寺から集められた供養塔です。





  1. 【 石道寺(真言宗 木ノ本)

己高山の山道をさらに走り、石道地区にある己高山石道寺(しゃくどうじ)へ行きました。
こちらも紅葉が始まり、見物の人で賑わっていました。




小川と樹々に囲まれた、この小さな石道寺のお堂は
地元の人々にいしみちの観音さんと親しまれているそうです。





お堂には順番に数人ずつ入ってお参りします。




 
この石道寺は奈良時代の初期726年に創建され
かつてはここから1kmほど離れた山中にありました。
その後平安時代の804年に、最澄が天台寺として再興し、
本尊の十一面観音立像を祀ったと伝えられています。

戦国時代には、信長の兵火により全焼しましたが観音像は守られ、
その後復興しますが、明治の中頃の火災と大水のため、無人となりました。
大正3年に里人の手で、
参拝と管理に便利な現在の地に移されたとのことです。

 本尊の 十一面観音立像(重文 平安中期)は
 ケヤキ一木彫で、元は極彩色が施され
紅をさした口元が生き生きとして、大変美しい観音仏でした。


十一面観音立像(重文 石道寺 平安中期)参考画像



参考画像


お堂の中ではこのように背中に光背をつけていらっしゃいます。


参考画像


こういう観音様にお会いできるのも楽しいですね。




自然が美しい観音の里でした。






  1. 向源寺(浄土真宗 高月)

このあと長浜市高月町にある、向源寺まで走りました。
こちらの渡岸寺観音堂には、湖北随一の国宝の十一面観音が祀られています
なお向源寺はお寺の名前で、渡岸寺は地名とのことです。

このお寺は736年、都に大流行した疱瘡を鎮めるために
聖武天皇の勅により、この地に観音像と共に建立されたのが起源です。
その後桓武天皇の801年に、最澄により天台寺となりました。

こじんまりとした山門がありました。





本堂への参道を歩きます。





観音堂は、本堂の左手にありました。





十一面観音像はこの耐火収蔵庫の中に安置されていました。


参考画像

ヒノキの一木彫で、177cmの十一面観音は広い収蔵スペースの中央に置かれ
360度から拝観できるようになっていました。

あまりの素晴らしさに衝撃を受け
誰もが無言・・・
そういう時間と空間を共有しました。


十一面観音立像(国宝 向源寺 平安時代)参考画像



参考画像


参考画像



参考画像


廊下には、来日してここまで足を運び、
観音像を観賞した海外要人の写真が掲示されていました。

中には、「ミロのヴィーナスよりも美しい」と
最大級の賛辞を贈った方もいたようです。
そうかもしれないと思えるほど、素晴らしい仏像でした。
米原駅から高月駅へは20分と意外に近いので、必ず再訪したいと思いました。

また、日本にはこちらの十一面観音立像のほかに
6尊の国宝十一面観音像があるそうですが、
そちらにもいつか訪れてみたいものです。

拝観を終えて、境内を山門へ向かう途中に、石積みの塚がありました。
由来が書かれた立て札によりますと

1570年、浅井、朝倉氏と信長が姉川で戦った際、
このあたりの堂宇や民家が悉く信長の焼き討ちに遭い、
その際住職や門徒衆が命がけで観音像をはじめ、多くの仏像を
この地中に埋めて隠したとのことでした。





このほかにも仏像を避難させるために、里人らが
川に沈めたり、背負って山中に分け入ったりしたという言い伝えが、
数多く残っているそうです。
これは明治の廃仏毀釈の時も同じだったとのことでした。



陽も落ちてきました。





高月駅までは徒歩5分でした。
JRで米原まで戻るとしましょう。





途中電車が河毛駅を過ぎると、小谷山の連なりが見えました。
かつて織田軍に攻められ、落城寸前に
お市の方が3人の娘を連れて、落ち延びた小谷城があった山です。
ほどなく電車は姉川を渡りました。

琵琶湖周辺の旅には日本の歴史が詰まっていることを実感しました。
つい奈良・京都の方に気をとられていましたが、これからは滋賀にも!





伊吹山も見えました。





途中長浜駅で鮎の佃煮を買おうと下車した際、
駅から見えた長浜城(模擬復元)です。
浅井氏滅亡後、信長から浅井氏の旧領を与えられた秀吉は
落城した小谷城の資材を使用して
琵琶湖の水運に恵まれたこの地に長浜城を築城(1573年頃)しました。

廃城は大阪の陣後の1615年で、
資材の大半は彦根城の築城に使用されました。





米原に着いた頃には日も暮れていました





17:58の「ひかり」にちょうど間に合って、
週末旅行も無事終わりました。




2015年琵琶湖周辺の旅はこの辺で。
お付き合いいただき、誠に有難うございました。

ー終わりー