21 Jan. 2018

23 Nov. 2015 に投稿しました、「琵琶湖周辺の旅(1)近江八幡 の続編です。
2年遅れのリポートとなりましたがお許し下さい。

T.H.



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2015年11月 琵琶湖周辺の旅(2)安土


こちらはこの日の午前中に、隣駅の近江八幡の八幡山から展望した、
安土山周辺の景色です。

織田信長(1534〜82)がこの場所に城を築いた背景には
それまで拠点としていた岐阜城よりも京の都に近かった事
琵琶湖の水運を利用できる立地であった事
また、北陸方面にも出やすく、加賀の一向一揆や、越後の上杉謙信にも対抗できる事
などがあったと言われています。




JR琵琶湖線「近江八幡駅」を出て、隣駅「安土」で下車しました。




《安土城郭資料館》

さっそく安土駅前の安土城郭資料館です。




中に入ると、中世の安土に関する資料の展示や、
お土産品、喫茶コーナーなどがありました。




安土城の当時を屏風絵風に描いた陶版壁画が4点展示されていました。

こちらは琵琶湖の湖水に囲まれた安土城の様子が描かれています。
城郭の中心に天主閣がそびえ、
山腹には家臣の館や、信長が建立したお寺の塔が見えます。




こちらは楽市楽座で知られた、安土城下の賑わいです。




野外で相撲に興じる人々や、
城内で楽器の演奏を披露する長いマントの南蛮人たちも見えます。
                                   
  



信長が造営した室町将軍の二条城祇園祭など、
当時の京都の風景が描かれています。




また、長崎へ上陸する南蛮人の荷揚げ風景や、船出の様子も描かれていました。




安土城天主の1/20のサイズで作られた、縦割りの模型もありました。
天守内部の構造がよくわかるようになっています。




店主は地上6階、地下1階構造で、5階と6階が望楼になっています。
建物の中心部分は吹き抜けになっていました。




左は安土山の模型です。各建物の位置が印されています。
右は古くからこの地方で勢力を誇った六角氏の居城があった観音寺山です。




売店には額入りの衣冠束帯の信長像もありました。
不勉強で、初めて見るものでした。

織田信長像  神戸市立博物館 重要文化財 



信長の一生を紙人形で綴ったコーナーもありました。







小雨が降る中、安土城跡へとタクシー移動しました。




《安土城跡》

周囲は田園地帯で、生憎のお天気で観光客もいない安土城跡です。

この道の先に料金所があり、
そこから近年発掘整備された安土城の大手道が続きます。





安土城跡 地図

参考画像


こちらは安土城本丸までの登り口です。
道幅約8m、全長180mの石段の大手道が途中まで真っ直ぐに続きます。

帝を城に迎え入れる時に使う特別な道として、
また、人々を威圧するためにこの道を用意したという説もあり、
記録によれば本丸跡には
清涼殿に似た構造の御幸の間もあったとのことです。

また、防衛には不向きな、広い直線の道である事から、
信長は既に天下は手中に収めたと意識して築いたのかもしれません。

登り始めると石積みの階段は急で段差が大きく、
当時の武者や足軽の足腰には到底かないません。
よく見ると石仏なども石材に混じっており
複雑な気持ちにもさせられました。




大手道の両側の傾斜地を造成して造られた敷地には
伝豊臣秀吉邸跡や、伝前田利家邸跡などの石標が立っていました。
武将たちのための、安土城での宿舎ということだったのでしょうか。

残された邸の遺構は16世紀末の武家屋敷を知る上に
大変貴重とのことです。

   
                           参考画像


道沿いに伝徳川家康邸跡と伝えられている場所もありました。

参考画像


現在は信長が城内に建立した摠見寺の仮本堂が建っています。
安土城の廃城後、江戸時代を通じて現在に至るまで、
信長の菩提を弔いながら城跡を守り続けているそうです。

なお、摠見寺の旧境内は、
百々橋口という、大手道とは別の登り口の途中にあり、
現在は三重塔と二王門だけが残っているとのことです。




石段は山へと入ります。




天主や本丸はまだまだずっと先です。




こちらは大手道から安土城の天主を見上げた復元CGです。
199mの山の頂上に立つ32mの天主。
周囲に見えるのは本丸、二の丸でしょうか。
こんなに近くに見えるのかと、びっくり。

滋賀県近江八幡市提供 参考画像



しかし登るにつれ大手道は険しくなり
雨も強くなり、足元が滑って危ないので
残念ながら今回はここで引き返すことにしました。
晴れた日に天守まで登れば、琵琶湖の景色もよいことでしょう。




先ほどの摠見寺を見下ろしながら大手道を降りました。




雨が降りしきる中、次の「信長の館」へ移動しました。




《信長の館》

信長の館に着きました。ちょっと変わった形です。
大変な土砂降りでしたので、建物外観は参考画像でどうぞ。

参考画像



この信長の館には、1992年に開催されたスペイン・セビリア万国博覧会の
日本館に出展された、実物大の安土城天主の5・6階部分の復元が展示されています。
こちらはその時の日本館の画像です。
この出展が注目を集め、博覧会会期中の入場者数は日本館がトップだったとのこと。

参考画像


1576年に信長の命で始まった安土城の築城は
1579年に完成するや、
信長はそれまでの城主では初めて、天主に居を移し
高い場所に住むようになります。

現在の姫路城よりやや高い、高さ約32メートルの
壮大な安土城天主は、
世界で最初の木造高層建築だったといわれ
宣教師らによって、ヨーロッパにも紹介されました。

しかし1582年の明智光秀の謀反により信長は京都本能寺で自刃、
秀吉が光秀を討った混乱のなか、安土城天主は焼失し
築城後3年後には幻の名城となってしまいました。

会場内の天主はとにかく大きく、広角でもカメラに収まりきれないほどでした。




8角形の5階の上に、正方形の6階が載っています。




5階部分は柱や天井はすべて朱塗りの正八角形で、
柱には昇り竜、下り竜の彫刻がほどこされています。
内陣や外陣には狩野永徳による釈迦説法図や阿鼻地獄図などの、
金碧障壁画がめぐらされ、仏教色の強いものになっていました。

内陣の天井や障壁に描かれた美しい絵です。




外陣に描かれた阿鼻地獄図が右に写っています。




最上階の6階部分はすべて金箔で仕上げた正方形で
金の鯱をのせた屋根が絢燗豪華に復元されています。




内部は黒漆塗りで
中国古代の3皇5帝、老子、孔子、七賢人などが描かれています。

また、豪華な天井や、扉の牡丹の装飾など、
安土桃山文化も再現されていました。




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信長の館にはこのほか、
ペーパークラフトによる信長登場場面などの展示もありました。

こちらは安土城の石垣造りの光景です。




信長の妹のお市の方が、落城した嫁ぎ先の浅井氏の小谷城から
3人の娘と共に落ち延びて、戻ってきた場面です。




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このほかに会場で目を引いたものとして
「天正10年 安土御献立」のレプリカがありました。

これは信長が、天正10年5月15、16の両日にわたり、
家康を安土城に招き、武田氏討伐の際の武勲をねぎらった、
「信長の家康饗応膳」です。

当時の最高の食材をよりすぐった献立をご紹介しますと(参考画像)

五月十五日おちつき膳(一行到着後に出す食事)




五月十五日晩御膳




十六日御あさめし膳




十六日之夕膳




という大変豪華なものでした。この時接待役を命じられた明智光秀は
信長から「支度が行き過ぎである」と叱責され、役を降ろされて
毛利攻めの秀吉の援軍に回されたという話も伝えられています。
この時の遺恨が謀反の動機の一部になったとの説もあるそうですが
光秀は精一杯任務を勤めたであろうことを考えると
お料理が戦乱を呼ぶとは・・・何か切ないです。


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最後に、会場で大変印象的だったのは、こちらの織田信長の肖像でした。
これは信長の死後にイエズス会宣教師ジョバンニ・ニコラオが描いた絵を、
明治になってから写真撮影したものといわれ、
天童藩織田家の菩提寺であった宝寺に所蔵されています。

西洋人が描いた信長の肖像に込められたのは
戦国時代の卓抜した武将の
存在感、威厳、魅力といったものだったのでしょうか。

参考画像



琵琶湖のほとり、安土での信長三昧の旅程は
臨場感たっぷりで、面白かったです。


ー続くー