09 Jan. 2018

2017年11月連休 福井と金沢の旅 (8)金沢城公園


1500年代の中頃、現在の金沢城がある所には
加賀を支配していた一向一揆の本拠、
金沢御堂がありました。

1580年、織田信長の命を受け、柴田勝家の甥の佐久間盛政は、
激戦のすえ一向宗徒を滅ぼして金沢御堂を占領し、
反撃に備えて百間堀や土塁を整備しました。
これが金沢城のはじまりです。


佐久間盛政(1554年〜83年)


やがて1583年、賤ヶ岳の戦いで
勝家や盛政を滅ぼした羽柴秀吉に従属した前田利家
秀吉の命で加賀の領主となり、金沢城を大がかりに改修しました。


前田利家(1538〜1599)


そして利家亡き後、1600年、関ケ原の戦いとなり
長男前田利長は徳川に付き、加賀、能登、越中を与えられます。
こうして加賀100万石の前田家は
以後14代にわたり金沢城主となりました。



《石川橋と百間堀》

兼六園の桂坂口を出ると、正面に見えるのが
金沢城の石川門です。




兼六園と金沢城をつないでいるのが、このレトロな石川橋です。





橋の下に見えるのは百間堀
かつては水をたたえた濠でしたが、今は埋め立てられて
石川橋のアーチをくぐる道路が走っています。





《 百間堀園地 》

入城する前に、金沢城を下から見上げることができるという
百間堀園地に降りて行きました。

着きました!
石川門と、高い石垣の上に伸びる長屋が視界に入ります。
ここは春は桜の名所だそうです。




こちらは明治20年頃の、水をたたえた百間堀の写真です。
石川門は今と変わらない姿です。
現在石川橋のある場所はこのような石垣道が続いていたようです。




こちらは明治44年の
濠の埋め立て工事とアーチ状の石川橋の完成を祝う様子です。
大勢の軍人さんや偉いさんが、
正装で通り初めをしているところでしょうか。




現在の石川橋です。
アーチをくぐって「お堀通り」が走っています。
石積み技術が、こうして今でもコンクリートの橋を両側から支えているのは
立派なことですね。

参考画像


藩祖、前田利家公の銅像が近くに立っていました。




正面からは木に隠れて見えにくい石川門の建物群が、
ここからはよく見えます。
左から二層櫓、中央が高麗門(一の門)、そして右が櫓門(二の門)です。
230年前に建造されたものです。




《石川門(1788年再建 重要文化財)

再び橋の上に戻り、石川門の一の門をくぐりましょう。
間近に見る櫓の屋根や白壁、石垣など、晴れているので大変美しいです。
金沢城の壁は白い漆喰に、整然と瓦を並べたなまこ壁が特徴です。
北国の雪や雨対策、防火対策をはじめ、銃弾も貫通しにくいなど防衛面も考慮されました。

燻した銀色の屋根瓦は、
瓦の形をした木板に厚さ1.8mmの鉛板を貼り付けた鉛瓦です。
土の瓦を使用しなかったのは
軽量にするため、凍結を防ぐため、有事には剥がして鉄砲の弾に鋳なおすため
壮麗な外観のためなど、諸説あるそうです。




金沢城の門は高い防衛機能を持たせるために、「枡形」という構造になっています。
それは一の門と二の門と、ふたつの壁面で
四角い枡形の空間を作り、その中に敵を閉じ込めて打ち取るというものでした。
下図は石川門の枡形を上から見たところです。

参考画像



下図は枡形の内側から見た石川門一の門です。
この門は高麗門という造りで
左右の補助柱の小さい屋根が特徴です。

一の門が小ぶりなのは、櫓の上から外敵を監視する際の
視界を妨げないためだそうです。

外側の優雅さとは打って変わって、
内側の壁には四角い隠し狭間が付けられ
いざという時は突き破って鉄砲で撃てるように、瓦一枚でふさがれています。




枡形の内部の様子です。
狭間が壁の高い位置に並んでいます。




こちらは枡形の内側から見た石川門 二の門です。
230年前に造られた、櫓(やぐら)門で、
階上は武器倉庫になっており
扉には鉄板を貼り付けた重厚な門です。

右の青緑色の出格子窓には、
這い上がる敵を攻撃する石落としが床に仕掛けられています。

いったん枡形に入ると
4方8方から狭間を通して狙い撃ちにされ
同時にこの強固な二の門のため、先へは侵入できないことを実感しました。





《 橋爪門続櫓五十間長屋・菱櫓

城内に入るとそこは広大な三の丸です。
まず目に入るのは、1881年に焼失し、2001年に復元された
(左から)橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓です。




両端の橋爪門続櫓菱櫓も、高いところから周囲を監視する物見櫓で
五十間長屋は武器倉庫でした。


三の丸には石川門のほかに二つの重要な門があり、「三御門」と呼ばれました。

参考画像


では河北門橋爪門を見てみましょう。




《 河北門(かほくもん 2010年復元)》

河北門金沢城の大手門口に向かって建つ、
実質的な金沢城の正門です。
明治期に取り壊されて以来、130年ぶりに復元されました。
左から櫓門(二の門)、中央が高麗門(一の門)、
そして右が出格子窓が周囲を睨み、監視するニラミ櫓台です。

この櫓台の石垣には、3種類の石積みが施されています。
下半分の濃い部分は自然石や割り石を用いた古い時代の「野面積み」で、
上半分は金沢産出の色の薄い戸室石を用いて、
加工してぴったりと積む「切り込みハギ」
形や大きさを揃えて積む「打ち込みハギ」
両方の工法が採られています。

参考画像
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/kanazawa_castle/index.html



河北門の枡形を上から見たところです。

参考画像


こちらは三の丸側から見た、河北門二の門です。
正門の櫓門だからでしょうか、城内で最も大きく
かつて参勤交代はこの門から出発したそうです。
2階の展示場に上がる木製の外階段が、少々外観を損なって(?)います。





《 橋爪門(2015年復元)》

五十間長屋の端に建つ橋爪門続櫓に隣接した橋爪門です。
金沢城は1602年に天守を焼失して以来、
二の丸が城の中枢となっていたため、
二の丸正門の橋爪門は格も高く、大変厳しく検問されました。




一の門の前は水堀で、橋がかかっています。




橋爪門の枡形を上から見たところです。

参考画像



枡形内のニの門です。
右の橋爪門続櫓は遠くからも目立つだけあり、さすがに立派です。
また、目の前で見る二の門の扉のデザインもびっくりするほど斬新でした。




旅の最中は枡形のことをよく知らず、あまり意識せずに見学してしまいました。
今度行かれる方、各門の一の門、二の門を表裏まで、しっかり見て来て下さい。

また復元に関する展示などもあるようですので、
好きな方には楽しめると思いました。



《鶴の丸休憩館》

城内が広すぎて、ちょっと休もうということになり、
今年出来たばかりという、鶴の丸休憩館に立ち寄りました。

参考画像


大変洒落た喫茶室でした。ちょっと撮影がはばかられ、
お借りした画像が並びます。




メニューはお茶受けの笹寿司と金沢銘菓各種でした。







中田屋のきんつば、有名だそうです。

ここまで参考画像



窓からこの景色を見ながらお茶を飲みました。
よく晴れて、大変気持ちのよい場所でした。




ちょうどこの日は特別に
重要文化財の鶴丸倉庫三十間長屋の内部が公開されているというので
そちらの方へと急ぎました。



《鶴丸倉庫(1848年)重要文化財》

城郭内に残っているものとしては、国内最大の土蔵で、
かつては武具が保管されていました。
土台の石積みや窓枠のデザインが素敵でした。




入ってみると建物の幅の広さがわかります。





《三十間長屋(1858年)重文

古びてはいますが、二層の屋根を持つ立派な建物です。
土台の石積みは、表面の縁取りだけをそろえ、
内側を粗く残すという凝った工法が用いられているそうです。








しっかりとした天井の梁の木組みで
武器弾薬の倉庫として使用されていました。




というわけで、幕末の城内の様子を伝える二つの建物でした。




《玉泉院丸庭園》

玉泉院丸は、かつて2代藩主 前田利長の正室、
玉泉院(織田信長の4女、永姫 1574〜1623年)が館を構えていた
金沢城の西の一角の呼び名です

1634年に三代藩主 利常が、ここに私的な楽しみとして庭園を造営したのが
玉泉院丸庭園の始まりと伝えられています。

その後歴代藩主、5代綱紀や13代斉泰らが手を加えながら、
様々な珍しい意匠が凝らされ、廃藩時まで存続しましたが
明治期に城内が軍用地になり、体育施設の敷地になってしまいました。

長い年月を経て2008年にスタートした復元計画により、
2015年、発掘調査した遺構の上に、江戸後期の庭園の姿が再現されました

庭園の趣向とされた石垣を間近で見ることができます。




これらの石積みには
色紙(正方形)や、短冊(長方形)の形をした石と
多角形の石を組み合わせた斬新なデザイン(色紙短冊積石垣)が見られ、
強度よりも藩主の好みを先行させた石垣という印象でした。

また石垣の上部には、
調査の結果、落差9mの滝を流すため組み込まれたと思われる
V字型の黒い石樋も再現されていました。





こちらは玉泉院丸庭園の遠景です。
小高い丘に立つ石垣群を背景に
中央の開放的な低地に曲水や小松を配した、個性的なレイアウトでした。







右上に見えるのは先程見学した「三十間長屋」です。




美しく作庭された池周りです。




上から見下ろした庭園です。右端は「玉泉庵」。




金沢のビル群も視界に入りました。




最初に作庭を手がけた3代利常にしてみれば
自身が命じて完成したばかりの辰巳用水を引いた庭に、
さぞかし満足したことでしょう。
以来この庭は、兼六園が公に使用されたのに対し
藩主の私的な庭とされたとのことです。

当時の城郭で残っているのは、
石川門と鶴丸倉庫、三十間長屋だけという金沢城ですが
城内の復元、維持管理は、さすがに行き届いていて感心させられました。


玉泉院丸口より城外に出ると、広い公園になっていました。




しばらく行くといもり堀に出ました。
こちらの堀と石垣も2010年に美しく整備されています。




その近くの辰巳櫓跡の石垣です。




中央公園通りの方へ行くと、
赤く紅葉したアメリカ楓(かえで)の並木道が続いていました。
人力車でお洒落に通る人もいました。




思わぬところで紅葉も見ることができ、
旅のよい締めくくりとなりました。








夕方近くの新幹線に乗るべく、金沢駅に向かいました。




初めての北陸新幹線、「かがやき510号東京行」に乗り込んで
金沢をあとにしました。




遠い北陸が大変近くなった楽しい旅でした。
最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。


ー終わりー



《参考 金沢城 地図》