05 Jan. 2018

2017年11月連休 福井と金沢の旅 (7)兼六園 



快晴となりました。
足取りも軽く桂坂口から入ります。





兼六園は岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで
日本三名園の一つに数えられています。

1675年頃に、5代藩主綱紀が金沢城の外郭の傾斜地に別邸を建て
その周りを庭園としたのが兼六園の始まりとされています。
以来、歴代藩主が拡張、造営を重ねました。



徽軫(ことじ)燈籠》

桂坂口を入ると正面に見えてくる、大きな霞ケ池ほとりに建つ、
兼六園のシンボルのような燈籠です。
2本の足が、琴の弦を支える琴柱(ことじ)の形に似ていることから
付いた名だそうです。




池が広いので小さな燈籠に見えますが、高さが2.67mもあり、
左右の足の長さが違うのも大変珍しいとのこと。




あとから知ったのですが
このように手前の虹橋を琴に見立てて楽しむそうです。

参考画像




《唐崎松》

13代藩主の斉泰(なりやす)公が、
琵琶湖畔の唐崎松の種子を取り寄せて育てた黒松だそうです。
霞ヶ池の水面に広がる枝振りが素晴らしく、
雪の重みによる枝折れを防ぐための円錐形の雪吊りが、この時期に既に施されていました。
最も兼六園らしい光景でした。




雪への備えも美しく感じられます。









蓬莱島》

霞ヶ池にうかぶ蓬莱島です。
亀の形に似ていることから亀甲島とも呼ばれているとのこと。
蓬莱や亀甲といったモチーフは不老不死や繁栄の象徴とされ
大名庭園の作庭に好んで取り入れられました。





《 雁行橋(かりがねばし)》

11枚の亀甲の形をした石が、
雁の列が飛ぶように見えることからこの名が付けられました。





《七福神山》

七福神に見立てた7つの自然石が配置されています。





《 根上松(ねあがりまつ)

地表に出た根が2mもの高さに及ぶ、巨大な松の木がありました。
推定樹齢は200年と言われています。





《苔》

木陰で見つけた、星のような形の美しい苔です。





《山崎山》

兼六園の一番奥まった所にある、築山にやってきました。

「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」
金沢を訪ねた芭蕉が1689年に作った句碑がありました。

この築山は山崎山という名で高さは10mほどで
前田家の謀反を警戒する徳川幕府との緊張関係が続いていた1610年頃に
防御用として、金沢城の裏手に築かれたものです




山崎山の岩かげには辰巳用水の取入れ口があります。
この用水工事は、1631年に市中と金沢城を焼いた大火が契機となり、
金沢城の防火用水の確保が急がれ
3代藩主利常の命で建設されたものです。
11キロ離れた犀川の上流で取水し、4キロのトンネルを含む用水路を経て
山崎山で取り入れ、金沢城へ導水するもので
大工事はわずか1年という驚異的な速さで完成しました。

各堀割りや金沢城内への導水は
下図の通り、
当時は
「伏越の理
(ふせこしのことわり)」と呼ばれた
画期的なサイフォンの原理を利用して行われました


参考画像


辰巳用水により金沢城の堀割が満たされ、防衛、防火用水、生活用水が確保され
城下へも配水されました。
さらには、新田開発のための農業用水にも役立ちました。

この工事を設計した板屋兵四郎は水田感慨や塩田整備などの
加賀藩の土木工事にも貢献した技術者で
取水場のある上辰巳町の板屋神社に祀られました。


板屋兵四郎(〜1653年) 参考画像




《曲水》

用水は後年、兼六園内を巡る全長574mの曲水となり、池や滝などを形成しました。
後で知ったのですが、
山崎山の麓に、下図のような辰巳用水の取入れ口があります。(参考画像)

参考画像


よどみのない美しい流れです。
木陰の中を曲水に沿って歩きます。













《 鶺鴒島(せきれいじま)

曲水の中に浮かぶ鶺鴒島です。
正面に三社と書かれた額がかかった鳥居や、五重の石塔があります。





 時雨亭》

時雨亭は兼六園が作庭された頃からあった建物ですが
明治初期に撤去されてしまいました。
現在の時雨亭は2000年に、長谷池の傍に建物の一部が復元されたもので、
茶席や休憩所として一般に公開されています。

参考画像


開亭中とのことでしたので、入ってみました。




中でお抹茶をいただきました。
運ばれてきた季節の生菓子は、
時雨亭オリジナルとのことで、よく聞くと製造は、
ひがし茶屋街にもお店が出ていた「森八」だそうです。




お座敷からお庭を拝見します。









《 瓢池(ひさごいけ)》

ほどなく瓢池です。
この周辺は1675年の5代綱紀の頃、
兼六園の作庭が始まったところで
かつては蓮池庭(れんちてい)と呼ばれました。





《 海石塔(かいせきとう)》

瓢池の中の島に建てられた、4mの六重の石塔で
海中から採掘した石材であることから、海石塔と名が付いています。

石塔の左に小さく見えるのは翠滝(みどりだき)で、
池のほとりの夕顔亭から見えるよう造営されたとの事です。





《夕顔亭》

蓮池庭にあった4亭のひとつで、1774年に建てられました。
当時のままの姿を伝えているそうです。
厚く葺かれた茅が見事です。




現在も本式のお茶会に使用されているとか。





《 竹根石手水鉢(たけねいし ちょうずばち)》

夕顔亭の前にある、竹根石手水鉢です竹の根元のような形ですが、
学術的にもめずらしい椰子類の茎と根の化石だそうです。





《噴水》

藩政末期に造られたたものと伝えられ、
日本で最古の噴水と言われています。

噴水は霞ヶ池の裏手の傾斜地を下がった所に位置し
池の水面との高低差による水圧が利用されているそうです。
水の高さは最大で約3.5m、霞ヶ池の水位の変化で変わります。





《黄門橋》

手前の橋台に斜めにかけられ、1枚の石を2枚に見えるよう、
絶妙の反りをもたせて造られています。





《庭園管理》

管理の方々です。この広大さと木々の多さにもかかわらず、
園内の樹木の剪定はもちろん、雪対策、下草や落ち葉などの清掃が
行き届いていることに感心させられました。





《 栄螺山(さざえやま)》

栄螺山は1837年に霞ヶ池を掘り進めた際の土を
盛土にして出来上がった築山です。
頂上までのらせん状の道がさざえに似ているので付いた名だそうです。
紅葉を見ながら登ります。




頂上からのながめは絶景です。
霞ヶ池の向こうに兼六園を象徴する雪吊りの松が見えます。




ご来園の折には、是非ここへ登ってみることをお薦めする次第です。








というわけで雪吊りの画像を最後に
兼六園を終ります。

ー続くー


*****


《参考: 兼六園 地図》

      


ー続くー