03 Jan. 2018

2017年11月連休 福井と金沢の旅 
(6)長町武家屋敷 尾山神社 金沢茶屋


《長町武家屋敷》

前田家は利家が1583年に加賀領主となって以来、
1600年には息子利長が加賀、能登、越中を手に入れ、
以後、江戸時代を通じて100万石の大名家として栄えました。

かつて城下に並んでいた数多くの家臣達の立派な武家屋敷は
維新後の武家制度の崩壊と共に、変遷をたどりましたが、
金沢は戦災を免れたため、
幸いにも残された当時の屋敷跡が藩政時代の面影を伝えています。

長町武家屋敷周辺を歩いてみました。




丁寧に積まれた石垣と、瓦屋根付きの塀が続き、
水路が流れていました。




武家屋敷跡で一般公開されているのは
ここ、加賀藩1200石の野村家跡だけと聞き、やってきました。
水路にかかる小さな橋を渡ります。




こちらは屋敷の通用門でしょうか。




玄関に入ると、早速古い甲冑が置いてありました。
これは前田利家の直参であった当主の野村伝兵衛が、
1584年の佐々成政とので、着用したもので、
一番槍の手柄を挙げた伝兵衛は1000石の加増を賜ったそうです。
拝領した1000坪余りの屋敷は、廃藩まで11代続きました。




パンフレットの屋敷見取り図です。



奥の間



仏間
武家屋敷らしい重厚な仏壇、襖絵などがありました。



早くも雪釣りや、菰などの冬支度が施されていました。



茶室へと向かいます。






茶室です。




屋敷内に併設の鬼川文庫に展示されていた刀です。




武家屋敷の正門はこちらでした。




周辺の武家屋敷街を歩いてみました。




道筋に老舗の和菓子店も並んでいました。




こちらは今では、門構えのみが保存されているとのこと。
こうして一部でも当時の門や塀が残されています。




この日は武家屋敷街と茶屋街の両方を歩くという体験をしました。
100万石の安泰を守るために、
武力よりも文化の振興を選択したといわれる金沢の武家や豪商の気概が
現在も街並みに残っているような気がしました。





尾山神社》

夕暮れになりましたが、最後に尾山神社へ行きました。




尾山神社には
初代加賀藩主の前田利家と正室松の方が祀られています。
こちらは明治になった1873年に、
それまで歴代藩主を祀っていた卯辰八幡社の
維新後の荒廃を嘆いた旧藩士達により
歴代藩主別邸のあった、この金谷御殿跡に建立されたものです。

こちらが拝殿です。




拝殿の中は見学していませんが
金谷御殿にあった豪華な格天井が移設されているとのことです。

参考画像




この神門(重要文化財)ですが、
ステンドグラスがはめ込まれたり、和・漢・洋を折衷させたりで、
神社としては大変風変わりです。
明治の頃の一種の流行だったのかも知れません。








境内に建つ前田利家公の銅像です。
長い槍を手にした乗馬姿は、
槍の名手として恐れられていたことによるものだとか。

また、背負っているのは、母衣(ほろ)と呼ばれる、流れ矢を防ぐための布で
風でふくらむよう中に骨組みを入れ、鎧の背にかけて用いられました。
利家は若いころ、織田信長の軍団で佐々成政らとともに
母衣衆として戦場を馬で駆け回ったそうです。




明治時代に旧藩士の方々が神社を再建したことからも
金沢における前田利家公への強い尊崇の念が伝わってきました。



日も暮れかかり、今日の宿へと向かいました。




《金沢茶屋》

この日は金沢駅から歩いてすぐの街中にある
金沢茶屋に泊まりました。




お世話になります。




今日は和室です。




疲れた時の和菓子とお抹茶の美味しいこと!




お風呂に行く時に見た、ロビー脇の小さなお庭。





さあさあ、お夕食です。


食前酒
先附 野菜30種サラダ
前菜 石川の珍味盛り合わせ




お椀 どびんむし




造里 本日の湊より




焼物 のど黒かけ焼き




煮物 鴨治部




強肴 能登牛低温ロースト




お食事 秋の木の子ご飯




水物




大変美味しくいただきました。
金沢のお味を堪能しました。

***


明けて11月5日。晴れのようです!
朝食ルームで。地元の珍しいお野菜も。




発つ前のお庭。




お世話になりました。



今日も朝から張り切って歩きます。

ー続くー