01 Jan. 2018

2017年11月連休 福井と金沢の旅 
(5)ひがし茶屋街 主計町茶屋街


金沢駅の兼六園口に建つ、巨大なもてなしドームです。
京都駅に降り立つ時に覚えるような、
古都でありながら、新機能も備えた都市というイメージに
何だか似ています。
北陸新幹線の金沢開通(2015年)に10年先立つ
2005年に完成しました。

中央のべんがら色の鼓門と
明るいガラス張りの軽金属のトラスとの組み合わせは
高い評価を得て、海外の美しい駅ランキングにも堂々入っているとか。




地下街も見えています。




地下街へ降りる立派な中央エスカレーター。








この日の午後は、雨模様でしたので
風情を求めてひがし茶屋街の方へ行ってみました。




《ひがし茶屋街》


さすがに雨としだれ柳が似合います。
この茶屋街が今の形になったのは、1820年に
加賀藩が城下にあった茶屋を集めて町割りをしたことに始まります。




町筋は戦災に遭っていないので、当時の姿が残され
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
お茶屋は、2階が客間で天井が高くなっており、
どの家も2階部分が通りに張り出した造りになっています。



こちらは1876年の
東新地と呼ばれていたころの様子です。
街には塀がめぐらされ、入り口には門がありました。
よく見ると2階の造りや、賑やかな様子も描かれています。

参考画像 金沢市立図書館蔵


志摩

かつてのお茶屋「志摩」は、
現在は典型的なお茶屋建築として重要文化財の指定を受け
一般公開されています。

この日は雨で2階の雨戸が閉まっていたので、
高欄やすだれの様子がわかる参考画像をお借りしました。

参考画像  







玄関の欄間に並ぶ古い提灯。
夜のお茶屋の周りで、客の出迎えや見送りに使用されたのでしょう。




間口が狭く、奥に向かって細長い「志摩」の間取りです。

順路に従い、まず2階へ上がります。

参考画像


階段を上がってすぐの「なかの間」です。
説明書きによると、
茶屋遊びは、もてなす側の美しい芸妓と、応じる側の財力を備えた旦那衆の、
共に励んで身につけた芸や教養、そして洒脱さや粋を尊ぶ精神が
呼応し合ってはじめて成り立つもので、
野暮な一見さんが簡単に入り込める世界ではなかったようです。




「なかの間」の壁にかけられた三味線です。
芸を披露する準備の部屋でもあったのでしょうか。




「なかの間」をはさむ「前座敷」と「ひろま」は
共に接待用の客間で、べんがら色の壁が非日常を演出しています。

こちらの「前座敷」の床の間の中央には美しい琴が置かれ、
右側には琵琶を置く台が設けられています。
こうして楽器が美術工芸品として尊ばれ、
またそれらを奏でる技量も重要視されたことがわかります。




こちらはもう片方の客室の「ひろま」です。
随所に凝った細工が施され、大変贅沢な造りになっています。




「ひろま」に隣接した「ひかえの間」は
客に芸を披露するための舞台としても使用されていました。




このひかえの間で芸妓さんたちが、
楽器を演奏している写真が掲示されていました。




こちらは「ひろま」で舞が披露されている参考画像です。
この黒紋付のお引きずりの着物は
お正月の松の内だけに着用される、芸妓の正装だそうです。

参考画像


「ひろま」の廊下から見おろした庭です。




こちらは2階の「はなれ」で、
客をさりげなくもてなすために
姿を見せずに笛が演奏されたりしたそうです。




それでは裏階段から1階へ降ります。




参考画像


こちらは食料を保存するために、
地下に石組みで造られた「石室(いしむろ)」と呼ばれる貯蔵庫です。
内部には井戸も掘られているそうです。




台所です。お料理は仕出し屋から調達されたので
ここではお酒が用意されたようです。




「奥の間」は女将の部屋で、
家具や小物などの調度品が小綺麗に置かれ、
衣桁には落ち着いた帯がかかっていました。




先ほど2階から見おろした庭です。
1階の明かり取りになっています。




こちらは女将がお金の収支や、人や物の出入りを
帳面に付けながら
業務を仕切っていた帳場です。




通りに面した「みせの間」は
化粧や準備の間として使われていた部屋で
今は当時を偲ばせる資料の展示室になっています。

べっこうの櫛、こうがい、珊瑚のかんざしなどがありました。
そして上等な三味線のばちも。




九谷焼の酒器、蒔絵の杯なども並んでいました。
これらを見ても贅を尽くした華やかな場だったことが想像されます。





懐華楼

もう一軒、志摩と並んで内部公開されている懐華楼です。




こちらも1820年のひがし茶屋街が出来た時に建てられ
金沢市指定保存建造物になっています。




先ずは朱塗りの階段を上って2階の客間へ。










元来た階段を降りて




囲炉ばたのお席でちょっと休憩です。




お抹茶をいただきました。




それではひがし茶屋街のお店をのぞいてみましょう。




今度の旅でも、ここ「森八」のお菓子が
何度か出されました。




ここはお麩の専門店のようです。




九谷焼専門店の入り口に置かれた傘立ては特注?




ゴージャスな色遣いの古九谷風の小鉢類がありました。




九谷焼特有の黄色と緑の絵付けです。





石川県は酒どころ。




お酒のデイスプレイにも加賀の花嫁暖簾が。




飲みたくなりますねえ




金沢特産(?)の金箔のお店、「箔座」の店舗の一つ、
箔座ひかり蔵です。




日本の金箔は、今ではそのすべてが
金沢で作られているとのこと、


参考画像


店内には、アクセサリーや袋物、器類、お菓子などの金箔製品がありました。
中でもアクセサリーは金にしてはお買い得感があるらしく
欧米の旅行者に人気のようでした。

参考画像


参考画像


驚いたのは店の奥の古い蔵にまで、丸ごと金箔が貼ってあったこと!



何と外壁は純金プラチナ箔、内壁は24K純金箔使用とのこと・・・。





《主計町茶屋街》

近くの主計町(かずえまち)の方へも行きました。
途中このような古いお店を見かけました。




浅野川です。自然が身近に感じられます。




川のほとりに建ち並ぶ、主計町茶屋街です。
こちらもひがし茶屋街同様、加賀藩により町割りされた茶屋街で
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。




この町もやはり雨模様が似合うようです。




賑やかなひがし茶屋街に比べ人も少なく
静かな通りでした。




道を入ると、奥にも風情ある路地が続きます。




坂や古い階段もありました。




町名の由来が書かれていました。
このあたりは前田家に仕えた、加賀藩士富田主計の屋敷があったことから
主計町と呼ばれたそうです。
また、1970年代に一旦新しい住居表示に変更されたのち、
1999年に再び由緒ある主計町に戻されたという、
金沢らしいエピソードも知られています。




主計町事務所です。市役所の出張所かと思ったら
昔の検番だそうです。




茶屋を改装したギャラリーがありました。
こちらは版画家として日本の古都の風景を描き続けた
故クリフトン・カーフ氏が、アトリエ兼自宅としていた所だそうです。
氏の作品を多く展示しているとか。




料亭や料理屋が多く、
ひっそりとした佇まいですが、情緒の漂う街並みでした。


ー続くー