30 Oct. 2017

「おっさんのミニ秋ツアー at 佐賀・長崎」

佐賀は太良町にやって来て 「これかあ、海中鳥居は?」

遠くに見えていますか? 小さくピンのような灯台ある沖ノ島、女人禁制の島

燃えてる二人にはこんなプレゼント、太良町の嬉しい配慮ですね!?

満潮時には鳥居半分以上海の中 町のキャッチコピーは 「月の引力が見える町」

”大魚大明神” 祭るこちらが本宮

ハッピーな二人は何て拝んだのでしょうか?

太良町本命は蟹・蟹・渡り蟹 一番大きそうなのを選んで

牡蠣と共に支払い済ませたら

海側席に陣取って、乾杯の儀!

その時を待ちましょう・・・

ややあって、蒸し上がった蟹さんやって来たので

喜ぶ、喜ぶ

豊漁でピーク時の半値! 1匹調理とも¥2200 (牡蠣は炭火とも一籠1キロ¥1000)

私のご飯は ”蛸釜飯”

有明海に陽光射して来た

ハッピー二人は海鮮丼

嬉しそうな顔してはる

何とか御殿や、何とか荘みたいな高額払わずとも、漁師さんのやってる牡蠣小屋がお奨めですよ!

竹崎蟹だけが名物ではないんだよ

有明海の干満時に起きる急流は時として海の難所となる

江戸の頃から灯台の設置があった

竹崎城からの眺めは大牟田方面

半島には島原市、普賢岳は雲の中

しっかり汗かいたので、天然湯に浸かりに

いいなあ、いいなあ極楽タイムは 普賢岳望みつつ・・・

台風一過の秋の日差し、、、結構焼けそう

太良町から1時間で長崎市内へ、グラバー園で検証したいものがあるので、天主堂経由

入園ですたい

大浦天主堂眺めつつ、エスカレーターで上昇中です

とんでもないデッカイ船が停泊中、対岸は稲佐山

烽火山方面遠望

園内奥の旧三菱ドックハウス、移築されて此処へ

他所は台風22号通過で大騒ぎ、我等の長崎は? ゴメン、今日も晴れだった!?

手入れの行き届いた庭園内

コスタ・ネオロマンチカとはえらい違い!

質素なウォーカー宅

こちらはゴージャスな館

この門柱に注目! 此れの検証したい一心でやって来たようなもの

これぞ正しく ”フリーメイソン” 柱頭の掘り込まれたマークが物語っています コンパスと定規の組み合わせ紋様

19世紀中半以降、英国からの渡来フリーメイソンが定着したのがこの界隈で、リンガーもグラバー同様その思想の元、日本人洗脳を開始する・・・

慶応元年頃なら出島周辺が居留地だったのでは? それがこの風光明媚な山手地区に、何で?

「エゲレス屋、お前も結構悪よのう、しっしっし」 そんな会話が聞こえて来そうなサロン

「ウォーカー宅とは全然違うねえ?」

眼下に巨大船 ”クアンタム・オブ・ザ・シーズ” 16万8000トン 乗員乗客6000名 この港の立地は日本随一だね、博多港とはえらい違い、客人徒歩で街に繰り出せる

お次は ”オルト邸”

居留地と云えどもこうやって、本式の英国スタイル持ち込んで和洋折衷の立派な邸宅を・・・

インドでケシを栽培し、清国とのアヘン戦争で大儲け、、、後に眼を付けた日本でのひと稼ぎ、、、当初から入念なプランニングの元着々と戦略立ててはった筈

奥方の部屋

数々のオペレーション計画練ったテーブルか?

後に此の地へ移築された ”旧ステイル記念学校”

レクチャールームとして、展示場として利用されていた

再び、オルト邸横通って・・・

敷地面積30000平方メートル

石畳が一般的だった当時、国内初のアスファルト道

いよいよ登場グラバーさん、、、倒幕し、日本開国させ貿易拡大で巨額の富を会社(ジャーディン・マセソン)にもたらそう、それが目標!

一介の事務員 ⇒ 支配人 ⇒ グラバー商会

この眺望抜群な高台の下には港、こんな要塞もどきの立地に長崎奉行所がよくもまあグラバーさん達住ませたなあと驚き桃ノ木!?

つい1.5世紀前の話だ、、、当時治外法権的なこの場所にいくつかの洋館建設、そこに出入りする日本人は英国風生活様式観てビック仰天!?

何と云う清々しい空気だ!

「此処初めてと思うんやけど俺」

世界文化遺産のこの邸宅、よ~っと観ておこう

当時の大工さんの技の見せどころ

カーテンレールにも創意工夫のあと

曲線部にマッチしたカーテンボックス

ツル夫人の部屋

奥方好みの温室なんて、当時としては超画期的

再現された当時の御馳走、、、太る筈!?

検証第2弾はこれだ!!! 龍馬を匿った天井裏の隠し部屋 幕末の志士達にも世界情勢密かに語ったであろう屋根裏部屋

後に
所謂グラバーチルドレン、龍馬はじめ伊藤博文・井上馨・五代友厚・陸奥宗光など、誰はばかる事無くフリーメーソン思想の源受け継ぐべく、英国公使パークス
はじめ外交官アーネスト・サトウの元に足しげく通って西洋諸事情受けるに至るのである
 攘夷はいったい何処でひっくり返ったの?

7つの海の支配者たる英国絶頂期の諜報活動は、それは想像絶するパワー秘めていたことであろう

脱藩浪士龍馬がいかなる英傑であっても、スポンサー無しに武器弾薬購入し藩のニーズに応える等どだい無理な話、、、亀山社中しかり海援隊しかり、政商
グラバー指示のもと急遽立ち上げたダミー会社 フリーメーソンは深く静かに徳川に、薩摩に長州に土佐に絶大なる影響与える存在となっていた

寺田屋事件の前後あれほど用心深かった龍馬が、ピストル一発も撃たずに憤死した近江屋怪事件、新選組の犯行説はとってつけられたようなものとの説有力
次第にグラバーとの意見の相違が顕著になって消されたという説、加えて犯行は陸援隊隊長の中岡慎太郎!? 彼も横死しているところが怖いのである・・・

更に
突っ込んで糸手繰れば、ジャーディン・マセソンを手先で使っていたのはJPモルガン、その胴元は彼のロスチャイルド、、、金の絡む処にロトシールトアリ!?

日本初の洋食処 ”旧自由亭”

巨大な錨のように見えますか? 見事な蘇鉄の曲付け

此処長崎の南山手の高台で、英国人によって、大政奉還 ⇒ 明治維新 ⇒ 文明開化&富国強兵 の策練られたかと想うと何ともなあ・・・・・

コッツPhoto

秋の夕陽の頃合いだな?

トーマス・グラバー、、、彼は ”グラバー史談” で語っている 「私に歴史は無い、自分の名前は出さないで欲しい」

明治政府より前例無き格別の ”勲二等旭日重光章” 受けて3年後の明治44年死去、ツル夫人と共に長崎の国際墓地に埋葬されている

とても気持ち良い園内散策

天主堂の尖塔望見

「お腹空かないか?」

「此処気に入った入ろうか?」

花月は寛永19年(1642)に創立した遊女屋引田屋(ひけたや)の庭園内に文政元年(1818)の頃造られた茶屋の名称です。 

江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場でありました。文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は3ヶ月にわたって逗留し、花月を「養花山館」と名付け、篆刻も残しております。 

「何やあ~、チャンポンは無いげな」!?

龍馬の三種の神器は ブーツにピストルに懐中時計! 私だって負けてないぞ、デジカメにトレッキングシューズにiPhone!?

コッツPhoto

中華街から離れた平和公園近くの名店

花月の仇は寳來軒別館で・・・

甘くない本格派

台風22号通過で急遽山行きやめて、佐賀・長崎ドライブとなった10月29日

絶好の秋晴れに恵まれて、愉快な会話に大笑いして、満足・満足・・・

だんだん