21 Oct. 2017

「野麦峠」・・・・・はる


昨年、車で北海道旅行をしたのですが、そのときは宗谷岬、襟裳岬はパスしたので、
この二つの岬と紅葉の峠越えを目的に今年の秋、改めて北海道に行ってきました。

残念だったのは知床岬のヒグマ観察クルーズを予約していたのですが、
「天気晴朗なれども波高し」で
クルーズ船が出航できなくて中止になったことです。

ヨット乗りからみたら、全くドッてことない波なのに。

層雲峡の紅葉がピークで圧巻でした。

舞鶴からフェリーで小樽、帰りは苫小牧からフェリーで新潟。
その後、能登半島、金沢、富山、五箇山、黒部、松本、高山と周りました。

10月10日は奇しくも金沢にいたので編集長が、この日、金沢在と知っていれば
お茶くらい飲めたのに残念でした。

松本~高山は野麦峠越えをしました
野麦街道と峡谷の紅葉もとても綺麗でした。

野麦とはこのあたりに群生している隈笹の実のこと。
隈笹は10年に一度、麦に似た実を付けるため凶作のときは、野麦で団子を作って食べた。

明治から大正にかけて、信州岡谷周辺に生糸産業が盛んになり飛騨地方の貧しい女性たちが高山に
集められて雪のなかを2泊3日ないしは3泊4日を歩き通して野麦峠越えをしました。

製糸工場が毎年3月1日から始まるため、それに間に合わせるためにはどうしても2月末の厳冬の
中を歩かざるを得なかったのです。
年末に、やっと正月休みのため飛騨に戻るときも雪のなかでした。
奉公先でみもごる女性たちもいて、雪中の峠越えのつらさに流産するため「野産め峠」から野麦峠になった
話しもあります。

「野麦峠の館」の学芸員が
「つらい話ばかりではないのですよ。長寿を全うした女性たちも多いし、なによりも彼女たちは家族のなかで
稼ぎ頭だったので、周囲からはとても大切にされました。」

との言葉に気持ちが明るくなりました。



政井みねと兄・辰次郎の石像。
政井みねは岡谷の工場で働く途中、体を壊して辰次郎に背負われて野麦峠の
お助け小屋(奥に見える小屋。江戸時代から女性たちの面倒をみた)まで
たどり着いたが「ああ、飛騨が見える」と言って息を引き取った。
明治42年11月20日、みね20歳の時だった。

野麦峠に群生する隈笹

野麦峠の館

野麦街道の紅葉