11 Feb. 2017

「フランケンシュタイン」とメアリーシェリー
 
                             k.mitiko
 

バレエ「フランケンシュタイン」を観て、原作が200年も前に19歳の若い

女性によって書かれた謎を知りたいと思いました。

 

 

メアリー・シェリーは、1797年、フェミニズムの創始者と言われる母と

無神論者でアナキズムの先駆者である父の間にイギリスで生まれました。

まだフランス革命の息吹の残る時代です。

 

両親はフランス革命の支持者で、結婚制度に対しても懐疑的であったために、

危険な急進思想の持ち主とみなされていました。メアリーは二人の傑出した

人物の娘として生まれ成長しました。

 

 

メアリーが少女の頃、両親のもとには先進的な社会改革思想に傾倒する

信奉者が出入りしていて、そのなかに詩人パーシー・シェリーがいました。

オックスフォード大学在学中に無神論を唱え放校処分になった人物です。

 

 

メアリーの家に足しげく通ううちに、美しく聡明なメアリーと親密になり、

二人は恋に落ちて結婚を考えるようになりましたが、パーシーはすでに

結婚していましたので、パーシーが21歳、メアリーが16歳のときに

かけおちをして、ヨーロッパ大陸に旅立ちます。そこで二人はバイロンと

出会います。

 

その頃のヨーロッパは大寒波に襲われていました。1815年の春、

インドネシアのタンボラ火山の大爆発で、「夏が来なかった年」

「凍死するほど寒い夏」と言われるような状況が広がり社会的混乱が

起きていました。

 

陰鬱な気候を逃れてスイスのレマン湖のほとりに滞在していたバイロンの

もとにメアリー・シエリー夫妻や友人たちが集まり、暇つぶしの座興として

生まれたのが「フランケンシュタイン」でした。バイロンの主治医が書いた

のが「吸血鬼」の原型となる作品でした。

 

 

この時代、女性が作家として名乗るのには勇気が必要で、ジェイン・

オーステンやジョージ・エリオット、ブロンテ姉妹など別名で発表して

いました。メアリーもはじめは匿名でしたがのちに本名を名乗りました。

 

 
「フランケンシュタイン」の創作期間にメアリーは、次女、長男、を亡くし

その前に長女を亡くし、第5子を流産てしますので、5人の子どものうち

生き残ったのは第4子だけでした。

 

わが子を次々亡くしたうえに、やがて愛する夫パーシーがヨットで出かけた

イタリアの海で嵐に遭遇して溺死してしまいます。メアリーは24歳にして

未亡人となりました。「フランケンシュタイン」は才能に恵まれながら、

身辺には死の影がつきまとったメアリーの代表作となりました。

 

 

メアリーが200年もまえに19歳で「フランケンシュタイン」を創作できたのは、

その生い立ちとともに高い教養を身につけ、フランス革命と言う激動の

時代の余波のなかで生きたからではないでしょうか。

 

原作「フランケンシュタイン」は小説として読んでも面白いのですが、

現代に直接通じるメッセージをなげかける作品として、示唆するものが

多いのではないかと思います。バレエ「フランケンシュタイン」を

きっかけに、原作「フランケンシュタイン」を読むことは、読者は多いに

刺激されるのではないかと思います。NHKの「100分de名著」の併読を

おすすめします。