20 Dec. 2017



2017年11月連休 福井と金沢の旅 (2)永平寺


曹洞宗大本山の永平寺
鎌倉時代初期の禅僧、道元禅師(1200〜53年)により
越前の山の中に創建されました。(1244年)




正門には2本の石柱が立っていました。
左右の柱にはそれぞれ、杓底一残水汲流千億人」と彫られています。
(しゃくていの  いちざんすい、ながれをくむ  せんおくのひと)

これは日頃道元禅師が
仏前にお供えする水を汲む際、川の水が豊かであっても、
川下の人々また子孫のためにと、ひしゃくに残った水を川に返した
といういわれによるものだそうです。

また、この門は龍門とも呼ばれ
海の底に在るという龍門をくぐった魚は龍に変わるように
此の地で修行する僧もそう成って呉れれば良いのだが
という道元禅師の思いが込められているとのことです。




通用門です。拝観者入り口はこちらです。




信徒の研修道場である吉祥閣 に入り、靴を脱ぐと、
巨大な案内図の前で、
黒い衣を着た係のお坊さんから、参拝者の心得が説明されます。

座禅をはじめ、修行はすべて鳴り物での音の合図で行われているので、
そのような備品を見かけても叩いたりせず、静粛に見学する。
見学中の写真撮影は可能だが、修行僧は撮らない、話しかけない・・・等。

永平寺には33万平方メートルの敷地に70を超えるお堂や楼閣があり、
なかでも東司、僧堂、法堂、仏堂、大庫院、浴室、山門
七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ばれ、修行を行う重要な場所とされています。




《傘松閣》

傘松閣参拝者の研修や宿泊のための建物(1994年再建)
156畳敷の絵天井の間が有名です。
1930年建築当時の著名画家144名の230枚の絵が飾られています。







傾斜地に建てられた伽藍はこのように回廊でむすばれており
参拝者は列を作って順路を巡ります。




《東司》

東司(とうす)と呼ばれる修行僧のお手洗いは
身も心も清らかにする大切な修行の場とされ
戸の開け方から手の洗い方まで、細かな作法が決まっているそうです。
前を通り過ぎただけで、画像はありません。



《僧堂》

僧堂(1902年改築)は「雲堂」、
また修行僧は「雲水」と呼ばれています。
永平寺では、日々の生活そのものが修行とされ、
僧堂は、修行僧たちの道場ともいうべき場所です。
参拝者は中を覗かないようにして、静粛に通り過ぎます。

(ここでの画像が無く、参考画像をお借りしました。)


堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩が安置され、
その周りに約90名が座禅出来る「単」と呼ばれる席が設けられているとのこと。
修行僧は僅かに与えられた畳一枚のみの空間で
食事も就寝も行います。

座禅している姿そのものが仏であり、日々の行いが修行であり、その中に悟りがある
というのが永平寺の教えということです




承陽殿

永平寺でもっとも神聖な場所と言われる承陽殿(1881年改装)に着きました。
こちらは道元禅師(承陽大師)の御真廟です。
永平寺の歴代禅師や住職の位牌も祀られています。

1200年に京都の上級貴族に生まれ、幼時に父母を亡くした道元は
14歳で比叡山に入り修行しますが、
修行のあり方に疑問を感じ
17歳で京都建仁寺に入り、23歳で宋に渡り、帰国後比叡山の迫害に遭います。
その後1244年、越前の地頭、波多野義重より寄進を受け
越前の志比の地に永平寺を開いたのでした。


道元禅師(1200〜53年)    参考画像


正面上の「承陽」の額は、
明治天皇より道元禅師におくられたものだそうです。









中庭をはさんで立つ承陽門です。





《法堂》

永平寺の最も奥まった位置にある、法堂(はっとう)に来ました。
一般のお寺の本堂にあたり、各種の法要や儀式が行われる場所です。




法堂は1843年改築で420畳敷の、
七堂伽藍中最大の建物だそうです。




中央には聖観世音菩薩が祀られています。



正面眼下に一文字廊下仏殿の屋根が見えます。




なにしろ山の斜面の一番上にある法堂です。
のぼってきた回廊の傾きも半端ではありません。




廊下というか、階段というか、とにかくこの傾斜。
修行僧たちにより毎日磨き上げられています。




回廊より振り返って見上げる法堂です。




《仏殿》

傾斜を下って仏殿にやって来ました。
七堂伽藍の中心に当たる建物で、1902年の改築です。




須弥壇中央には永平寺ご本尊の釈迦牟尼仏が、
そして両脇弥勒仏阿弥陀仏が祀られています。

                          参考画像







仏殿に向かって立つ中雀門です。
背後の山門の屋根と美しく重なっています。




こちらは先ほど通った僧堂付近から見た仏殿の外観です。
中国宋時代の様式である二重屋根を持つ美しい姿です。




《大庫院》

こちらは永平寺の食事を司る大庫院(だいくいん)で、1930年の改築です。
当番の修行僧たちは午前1:30に起きて、朝食の支度をします。




正面には足の早いことで有名な韋駄尊天(いだそんてん)が祀られています。





廊下にはこのような、食事の用意ができた時に鳴らされる
雲版が吊られていました。




こちらも食事の合図に叩かれる魚鼓(ほう)と呼ばれる
3mもある木製の魚で、僧堂の外廊下に吊られています。
中国の伝説の魚を模したもので、
日常の行事や儀式の際にも使われます。

殺生が禁じられているお寺に、魚があるのは
古来魚は眠らないと考えられていたため、
惰眠を貪ることなく、修行に励むようにという教えで、
現在の木魚の原型となったそうです。

                 参考画像


廊下に掛けられた大すりこぎ棒も目を引きました。
これを撫でると料理が上達すると後から知りました、残念。




ついでにこちらは午前3:30の起床を知らせる振鈴
当番が堂内を走りながら大音響で鳴らすそうです。

     参考画像



ところで、修行僧の食事(行鉢)ですが、大変ヘルシーで
肉や魚はありません。
黒い食器は応量器と呼ばれ、
重ねた一揃いを布に包んで、各自が携えているもので
食事の時には、座禅のように一列に座り、膝元に並べます。
給仕の受け方から食べ方まで、すべて手順や作法が決まっており、
食事の終わりに配られるお湯で器を洗い清め、拭き上げます。


毎日の献立

朝食(小食)  お粥・ごま塩・漬物

                   参考画像


昼食(中食)  麦飯・味噌汁・漬物・おかず一品




夕飯(薬石)  麦飯・味噌汁・漬物・ おかず二品



これらが修行僧たちの
日々の座禅、勤行、庭や堂内での作務、寺の外での托鉢などを支える
力の源なのですね。
これに比べると我々はちょっとカロリー摂取過剰かなと。



《浴室》

永平寺では、東司(トイレ)、僧堂浴室は重要な修行の場とされ
三黙道場として私語は厳禁なのだそうです。
浴室では、「沐浴するもの千人なりとも、その湯浄きこと元の如し」
という言葉通りの作法に従って、入浴修行が行われているそうです。

参拝者は見学路から勝手に離れることが禁じられており、
浴室の建物外観を撮ることが出来ませんでしたので、参考画像でどうぞ。

                             参考画像



《鐘楼堂》

こちらは毎年大晦日の「行く年来る年」の最初の中継画面に出る
永平寺鐘楼堂です。
1963年(昭和38年)に改築されたもので、
約5トンの梵鐘を1日4回、
修行僧が撞いているとのことです。





《山門》

山門1749年に再建された、寺内最古の建造物で
永平寺の玄関にあたります。

修行僧が入門を乞う際には、ここで厳寒の2月に何時間も待たされた末、
厳しい禅問答が行われるのだそうです。

正面には「ここより先は厳しい出家修行の道場であり、
求道心の在る者のみ門をくぐることが許される」
という意味の言葉が記されています。
山門をくぐるのは、入門を許された時と、
修行を終え、寺を去るときの2回だけということです。

山門を正面から見る事は出来ませんでした。
こちらは東司の脇の回廊から撮った画像です。
それでも唐様式の山門は、どの方向から見ても大きく、立派でした。




山門の中には仏教の守護神である四天王が祀られています。




山門の正面側を参考画像でどうぞ。

                        参考画像



唐門(勅使門)


見学を終え、参道に戻る時
巨大な杉木立ちの階段の奥に、美しい唐門が見えました。




この門は勅使門ともいわれ、門扉は菊の紋章でした。
皇室の使者を迎える時や、管長の就任時にのみ開かれてきたそうです。




建立の1839年以来、一般開放されなかった唐門ですが
2016年大晦日の午後11時から、2017年元旦の午前3時までの4時間のみ、
初詣客のために扉が開かれたそうです。
多分、同時に山門も正面から見れたことでしょう。




次回は雪が積もった厳寒の永平寺にも行ってみたい気持ちになりました。
寒いでしょうけど・・・。


ー続くー