03 Oct. 2016

奈良あたり by  さすさら


家を出るときの天気は曇り空。昨日は、こりゃー中止かな?と思っていたのだが・・・
   何とか、大丈夫な1日土曜日の朝8時過ぎ。まだまだ雨が、ちと心配なのだ。
 

10時前ここに到着。
   どこだか分かりますかね?
   後ろは行基さんなのだ。
   彼が手を合わせている方向には大仏さんがいるのだ。
 

そう、今日は今年3回目の爽筑会なのだ。
 

近鉄奈良駅前からバスに乗るのだ。
 

10分ほどでここへ。
 

国宝の楼門。真言律の宗祖、叡尊上人らによる鎌倉再興伽藍(文永4年 1267年)回廊西門。
   正門は南大門、中大門であったが戦国の兵火で失われ、寺中を貫く京街道に面した
   楼門のみが保存されたのだ。
   建築様式は和様に天竺様の意匠が取り入れられ、、美しく軽快な屋根のそりを見せる。
   楼門遺構としては日本最古の作例なのだ。
   中に見えるのは、十三重石宝塔。
   「門入るや 東風吹きぬける 般若寺」 莞人
 

何とか雨は大丈夫なのだ。
 

そう、ここはコスモスの寺でも有名なのだ。
 

 

奥に見えるのは元禄7年に建立された鐘楼。
   「般若寺の 釣鐘ほそし 秋の風」 正岡子規
 

持てる男石は持てなかったのだ。
 

塔は卒塔婆の略。内部に釈迦牟尼仏陀の舎利をまつっている。
   聖武天皇御創建を伝える。五丈(14.2m)の高さを持ち日本を代表する石塔。
   荘重な塔婆は後世の層塔の規範となったそうな。
   下部の四角い石の四方仏には東西南北に薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒の
   顕教四仏(けんぎょうしぶつ)が彫刻されているのだ。
 

 

残念ながら、15万本あるというコスモスは未だ2分咲きなのだ。
 

修猷館の後輩の女性たちなのだ。
   後ろが本堂。
   飛鳥時代に高句麗僧慧灌(えかん)法師によって開かれた寺。
   京と奈良を結ぶ要路にあったため、幾度の戦乱に巻き込まれ栄枯衰退を
   繰り返す歴史をたどるのだ。
   奈良市北部、奈良坂に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山。
   本尊は文殊菩薩。
 

関西花の寺なのだ。
 

元版一切経を収納する経蔵。
 

大塔宮護良親王が唐櫃に隠れ危難を逃れたのがここ。
   「経櫃の かなしきえにし 露の堂」 敏子
 

楼門を内部から。
 

平重衡なのだ。
 

清盛の4男。般若寺、東大寺、興福寺などを焼き尽くしたのだ。
 

般若寺のすぐそばにある植村牧場。
   真ん中は32年卒の大先輩なのだ。
 

ソフトクリームが美味しいのだ。
 

これもいるが、臭いなぁー!
 

 

てくてく歩くのだ。
 

大仏殿が見えてきた。
 

4匹家族なのだ。
 

 

奈良公園なのだ。
   雨は何とか、もっているのだ。
 

ここらへんを歩いているのだ。
 

絶好のビューポイントなのだ。
   後ろは二月堂。
   幹事長が今回が19年間で始めてだ、と驚いていたのだ。
   そう、爽筑会で女性陣が過半数を超えたのだ。
 

ここは知らなかったなぁー!
 

二月堂。
 

回廊。
 

 

三月堂。
 

法華堂経堂。
 

鹿せんべいをかったのだが・・・
 

鹿の大群に襲われ、逃げ回るのだ。
 

お昼はここ。
 

まずは乾杯。
   そう、今回はよいよい会はこの二人だけなのだ。
 

左が幹事長の岸本さん。一つ先輩。
 

春日大社へ。
 

のんびりしているのだ。
 

お願いをしたのだ。そう、貴方の健康を!
 

仲麻呂はかわいそうだなぁー!
 

故国日本をしのび続けた悲しい歌なのだ。
 

重要文化財の回廊。
 

 

奈良時代の初め、平城京鎮護のために茨城県鹿島神宮の神を
   山頂に祀ったのが起こり。
   神護景雲2年(768)称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営したのだ。
 

またまたどんどん歩くのだ。
 

神主さんの社宅があったのだ。
 

この家が・・・
 

志賀直哉の家なのだ。
 

 

新薬師寺、百毫寺へ。
 

この竹は?
   東大寺二月堂で使用された籠松明なのだ。
 

新薬師寺。
 

弘文天皇の御曾孫淡海三船公は日本最古の漢詩集「懐風藻」を編集し、  
   四面楚歌の中にありながら、曾祖父なる弘文天皇(大友皇太子)を顕彰したのだ。
 

この石段は結構きついのだ。
 

なかなか古い寺なのだ。
 

第18番なのだ。
 

天然記念物。
 

五色椿。
 

百毫寺は高円山の麓にあり、志貴皇子の離宮跡を寺にしたのだ。
   五色椿と萩の花で名高いお寺。
 
   志貴皇子は天智天皇の皇子。明日香に生まれ、天智天皇の大津宮への遷都で
   琵琶湖のほとりで、少年時代を送る。
   兄の大友皇子は父天智天皇の策で皇位を継ぐが、壬申の乱(673)に敗れ、
   天武天皇の世となり、この後ややこしくなったのだ。
   志貴皇子の息子が白壁王。彼は政争に巻き込まれたくなく、酒におぼれるのだが、
   突然、62才で第39代、光仁天皇となり、父である志貴皇子は「春日宮天皇」と追尊
   されたのだ。
   いろいろあるが、この光仁天皇(白壁王)の息子が平安遷都をした桓武天皇。
   以後、一貫して天智系の子孫が天皇になり、現代に至るのだ。
   勉強になったかな?
 
 

百毫寺の境内で休憩中。さすがに皆疲れてきたのだ。
   右端が松川会長。
 

またまたどんどん歩くのだ。
 

お茶を飲むのだ。
   会長が頼んだのはロイヤルミルクティー。
   帽子をかぶせるのだ。砂時計が落ちたら、出来上がり。
 

浮見堂。
 

猿沢の池。
 

雨はチョッピリ振ったが、傘はささずに済んだのだ。
   やれやれ、近鉄奈良駅で解散。4時10分。
 

本日のコース。
   爽筑会はいいなぁー!
   あちこちに連れて行ってくれるのだ。
   ありがたや、ありがたや、なのだ。
 

お疲れさま。
 

以上