07 Oct. 2016

2016年9月 石山坂本線の旅(2)坂本

T.H.

坂本は比叡山のふもと、琵琶湖のほとりにある古い町で
落ち着いた町並みからは、延暦寺や日吉大社の門前町として
また琵琶湖一帯の要衝として繁栄した名残が感じられました。


坂本駅から日吉大社に向かう広い参道(日吉馬場)を歩きました。
日吉大社の大きな石の鳥居を過ぎると
中央の車道の両側に大きな石灯籠が大社まで並んでいます。





参道には緑豊かな植え込みを挟んで歩道が並行し、
足元の水路をきれいな水が音を立てて流れています。





参道の両側には、大小の自然石を巧みに積み上げた石垣や塀、
そして古風な門構えのお寺風の屋敷が並んでいます。





通りを渡った反対側の歩道もこんな感じで石垣が続きます。





この景観を造ったのは、古来このあたりを拠点にしていた
穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団でした。
( 坂本駅の2つ隣は「穴太駅」です。)

比叡山焼き討ち後の現場からの報告で
焼け落ちた建物の石垣が堅固な造りで、容易に崩せないことを知った織田信長は
穴太衆を呼び寄せて、安土城築城に当たらせ、高い石垣が完成します。
以来、彦根城、竹田城、松江城などの名高い城の石垣も
彼らによって築かれました。



《日吉大社》


日吉大社の正面入口です。
こちらは全国3000以上に及ぶ、山王、日枝、日吉神社の総本社です。
広大な境内に、西本宮東本宮、山上の奥宮をはじめ、
数多くのやしろを有しています。

下の画像の背後の八王子山の頂上近くには、社殿と共に
神が降臨した岩として崇拝されて来た金大巌(こがねのおおいわ)があり
古代信仰の姿をとどめています。

やがてこの神が大山咋神(おおやまくいのかみ)として
崇神天皇の300年頃に山頂から現在の地に移されて東本宮となりました。
さらに天智天皇667年大津宮遷都に際しては、
国家鎮護の神として奈良の三輪神社から大己貴神(おおなむちのかみ)が迎えられ
西本宮の始まりとなりました。

その後比叡山に開かれた延暦寺の守護神となり
平安京の鬼門封じの守り神として大きな発展をとげました。
今も鳥居の脇に、「官幣大社日吉神社」と「比叡山延暦寺」の石柱が並び
神仏習合の歴史を見ることができます。





日吉大社の案内図です。
大宮川が流れる境内を、西本宮、奥宮の遥拝所、東本宮の順に回ります。





申年でもあり、この神社で神の使いとされている猿の
大きな絵馬が飾られていました。





西本宮への参道を歩きました。
境内を流れる大宮川にかかる日吉三橋(重文)のひとつ、大宮橋を渡りました。
天正年間に豊臣秀吉が寄進した木製の橋を
1669年に同形の石橋に架け替えたものです。





川底には石が敷き詰められていました。





そしてすぐ横に掛かっていた走井(はしりい)橋(重文)です。
こちらも日吉三橋の2つ目で、シンプルな美しい橋でした。





しばらく行くと日吉大社のシンボル、山王鳥居が立っていました。
鳥居の上に合掌の形の破風が付いていることから、「合掌鳥居」とも呼ばれています。
仏教と神道の合一を表しているとのことです。





社務所の前で飼われていた「神様のお使い」の猿です。
「ワン」にも「ニャー」にも全く反応せず、ひたすらお食事中でした。






西本宮


西本宮の入り口、楼門です。(重文





入って正面のこちらが拝殿です。(重文





そしてその奥に国宝の本殿がありました。
1586年の造営で、日吉造と呼ばれる独特の形です。
祭神は大津宮遷都(667年)に際し奈良の三輪神社から迎えられた大己貴神です
狛犬が縁側に座っていますが、これは大変珍しいことなのだそうです。





西本宮に隣接した白山宮本殿と4つの可愛いお社たちです。







神輿(みこし)収蔵庫

東本宮への途中にある神輿収蔵庫です。
早朝でまだ開いてなかったのか(?)見落としてしまいました。
この中には400年前に造られた7基の神輿(重文)
収蔵されているそうです。(参考画像)





画像で見ても相当痛んでいるようですが、朱色の紐や大きな鈴や
飾り金具から、当時の立派さが想像できました。(参考画像)





平安時代、延暦寺の武装した僧兵たちは、しばしば大挙して
 日吉大社の神輿を担ぎ出して、比叡山を超えて京都へ押しかけ
神威をもって朝廷に様々な訴えや要求をする強訴(ごうそ)を行いました。

白河法皇が思うようにならないものとして
賀茂河の水、双六の賽、山法師」をあげたほど、
山法師(僧兵)の神輿は神仏の罰を恐れる朝廷を悩ませました。

収蔵庫内の神輿は実際に強訴に使われた時代よりあとのものですが
山王神輿の重厚な迫力を伝えるものとのことです。

下図は江戸時代に描かれた、神輿を担いで強訴を行う僧兵たちです。(参考画像)






八王子山 牛尾宮と三宮(重文)

こちらは380mの八王子山(牛尾山)の山頂の牛尾宮と三宮へ登る石段です。
石段の左右に小さな牛尾宮三宮の遥拝所があり
今回は時間の関係でここで遥拝させてもらいました。





山上の様子は、参考画像によりますと、
左の三宮(1599)と右の牛尾宮(1669)のあいだに
が降臨したといわれる金大巌(こがねのおおいわ)が鎮座し
急な崖に建つ両拝殿は格子の木組みが張り出した懸造りになっています。

金大巌は10mもの大きさがあり、
大山咋神が東本宮に祀られる以前からここにあったとされ
日吉大社の原点ともいえます。






東本宮


こちらは東本宮の楼門(重文)です。
西本宮と同じく、楼門、拝殿、本殿が一直線に配置されています。





入ってすぐ正面にある拝殿です。(重文)





その後ろに建つ本殿(国宝 1595年造)です。
桧皮葺の屋根と紅い手すりが素敵でした。






東本宮を出たところにあった、日吉三橋の3つ目の二宮橋(重文)です。





古さで苔むしていますが、石組みはまだきっちりしていました。






日吉東照宮(1623年 重文)


1616年の徳川家康の没後、
家康、秀忠、家光の3代に仕えた天台宗の慈眼大師天海の勧めにより
家光は家康を祀るために、比叡山の麓に日吉東照宮造営(1623年)しました。

拝殿と本殿をつなぐ「権現様式」の出来映えもよく、結局13年後に
様式を踏襲しながら、さらに規模を大きくした日光東照宮が造営(1636年)されました。
明治になって神仏分離令が出されると、
その管理維持は、延暦寺から日吉大社に移されたということです。

日吉大社から徒歩10分ほどの小高いところに建つ唐門と透塀です。





唐門から本殿に入ります。





経年でだいぶ退色していますが、極彩色に塗られた美しい本殿です。





内部が公開されていましたので
入らせてもらいました。





天井の装飾と壁画です。



 

我々だけだったので御簾の向こう側もちょっと拝見させてもらいました・・・。なるほど。





というわけで日吉東照宮という試作を経て
日光東照宮は造営されたのでした。





東照宮から見下ろした坂本の街です。







 《滋賀院門跡》


滋賀院門跡は1615年に天海が朝廷より下賜された
京都白川の法勝寺を坂本に移築したもので、
1655年に滋賀院の号を賜り、江戸時代の末まで歴代天台座主の御座所とされ、
地元では滋賀院御殿と呼ばれていたそうです。

滋賀院門跡の重厚な門構えです。





立派な穴太衆積みの石垣と白壁が続く外観です。





敷地は1万㎡とのこと。





庭園は徳川家光の命を受けて作庭されたということです。





内部拝観で見た延暦寺の「不滅の法灯」の灯篭(先代のものとか)です。
このほか天海の鎧、籠、輿なども展示されていました。





公家の方々も来訪されたのか、蹴鞠(けまり)の庭もありました。(参考画像)






慈眼堂


滋賀院の裏手に天海慈眼大師)の廟である、慈眼堂がありました。





廟の前庭の立派な石灯籠です。
天海は比叡山焼き討ち後の復興に尽力しました。






《旧竹林院》


日吉馬場の通りに面した旧竹林院です
坂本の随所に見られる穴太衆積みの石垣と生け垣に囲まれた屋敷は
延暦寺での厳しい修行生活を終えた高齢の僧侶が、天台座主から賜った隠居所で
里坊と呼ばれています。
昔は80ほどあったそうですが、今は50ほどが残されているそうです。

この旧竹林院もそうした里坊のひとつで、3,300㎡の庭園(国指定名勝庭園)を有し
大宮川が流れ、茶室やあずまや、築山が配されています。
坂本にはこのほかにも名勝に指定されている里坊が10ケ所ほどあり
年に1度、4月にだけ公開されているそうです。





お茶席が設けられていました。





2階から見ると、広い庭園にたくさんの樹木が植えられ
どれも手入れが行き届いていました。










《鶴喜そば》


お昼近く、坂本駅近くの「鶴喜そば」に行くことになり
再び日吉馬場を歩きました。









鶴喜そばに着きました古めかしくも素敵な建物です。
建物は築130年の入母屋造で、国の登録有形文化財にも指定されているとか。
創業は享保の初め頃だそうで、現在9代目、300年近くやっておられるそうです。

サイトによりますと、昔からおそばだけでなく、里坊に来客があった際の仕出しなども
請け負っていたとか。特に滋賀院の場合は天台座主が宮様だったので
公家の方々におそばを供するうち、次第に皇室からの年越しそばの御用命も受けることになり、
大正天皇や昭和天皇もお取り寄せだったとのことです。
また、断食の修行を終えたばかりの僧侶たちのために消化の良いそばを
山の上で供することもあったそうです。





店内は旅行客で満席で大繁盛、そして親切でした。(参考画像)





注文は・・・「おろしてんぷらそば」にしました。
地元一押しのお店だけあり、大変美味しかったです。





食後にそばアイスも。
付け合わせはそばかりんとうでした。これもおすすめでした。





こちらは坂本駅の前に最近復元公開された「公人(くにん)屋敷・旧岡本邸」です。
残念ながらこの日は閉館日でした。

公人は江戸時代に俗人でありながら得度し、妻帯と名字帯刀を認められ
延暦寺を支えていた人々のことで、年貢の収納や仏事などの運営を担っていたそうです。
旧岡本邸寺社関係大型民家の特徴をよく残しており
母屋、米蔵、馬屋などが含まれているとのことです。





それでは坂本駅から電車に乗って次の目的地まで行きましょう。





ー続くー