01 Oct. 2016

2016年9月 石山坂本線の旅(1)比叡山延暦寺

T.H.


急に思い立って、昨年秋の琵琶湖周辺の旅で割愛した
比叡山延暦寺と周辺の名所を訪ねて
京阪電車石山坂本線沿線を駆け足で旅してきました。




9月23日(金)18:33発の新幹線ひかりで東京駅を発ち




京都経由でJR大津駅に着いたのは21:30近くでした。




JR大津駅です。




最寄りのびわこ大津プリンスホテルに落ち着きました。
12Fの部屋からの琵琶湖の夜景です。








明けて9月24日(土)。
台風が去って間がなかったので心配でしたが、どうやら雨ではなさそうです。




37Fの朝食バイキング会場からの景色は?




正面が比叡山です。
雲が低くたなびいています。




旅を通して、琵琶湖の眺めからいえば
このホテルの37F 朝食堂からのはよかったです。




最寄の石山坂本線の「錦駅」です。
ここをスタートに、沿線を旅することにしましょう。




駅舎もホームもちっちゃい可愛い駅でした。




終点「坂本駅」です。




ここからケーブル乗り場までは徒歩10分ほどでした。
坂本の町は土、日に分けて見物しましたので、後ほどまとめてお届けします。



こちらは大正14年(1925年)に建設された
ケーブル坂本駅」の洋風木造2階建の駅舎です。




全長2025m、高低差484mの斜面を上ります。
所要時間は11分です。
改札口もレトロな木製でした。




これより上り「福号」の発車です。




手前のケーブルにピントが合ってしまいましたが、
琵琶湖が眼下に広がります。




単線のケーブルですが、ここだけ線路がふたつに分かれていて
下りの「縁号」とすれ違いました。




到着した「ケーブル延暦寺駅」もレトロ調です。




年月を感じさせますね。




ケーブル延暦寺駅も大正14年建設で、洋風鉄筋2階建です。




ケーブルを降りて10分ほど歩き
比叡山延暦寺の入り口までやってきました。




比叡山は古代より「大山咋神(おおやまくいのかみ)」が鎮座する山として
人々の信仰を集めていました。

比叡山の麓の坂本に生まれた最澄(伝教大師767〜822)
12歳で出家、14歳で得度し、18歳で東大寺で受戒後、奈良を離れて比叡山にこもり
788年に一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建して修行を続けました。
比叡山は794年に遷都した平安京の北東の鬼門にあたっていたため、
やがて最澄は京を護る祈祷を行う僧として
桓武天皇(737〜806)や朝廷から大きな期待と信任を得ます。

その後最澄は桓武天皇に願い出て804年に37歳で遣唐使と共に入唐し、
天台宗の経典や法具を日本に持ち帰り
806年に天台宗は国家公認の宗教となりました。
さらに822年には、最澄他界の7日後に
比叡山が独自に授戒を行うことが朝廷から許されました。


伝教大師最澄 (参考画像)





823年、一乗止観院は朝廷より桓武天皇の元号の「延暦」を寺号に賜り
比叡山延暦寺となりました。
現在広大な境内は「東塔」「西塔」「横川」の3つの地域に分けられ
これらを総称して比叡山延暦寺と呼ばれています。




広域にわたる比叡山延暦寺には消防車も待機していますし、




自警団もあります。




3つの地域は山中を走るシャトルバスで結ばれています。
まず一番奥にある横川(よかわ)へと向かいました。


《横川(よかわ)地域》






横川中堂

横川は最澄の弟子、慈覚大師円仁(794〜864)によって開かれ
その中心をなす横川中堂は当時は観音堂として創建されました848年)
この建物は遣唐使船が浮かんでいる姿をモデルにした舞台造り
傾斜地に張り出して建てられています。

信長の比叡山焼き討ち(1571年)後は、豊臣秀頼によって再建されました。
現在の建物は落雷による焼失(1942年)後、1971年に再建されたとのことです。




遣唐使船の模型(参考画像)




横川中堂の中央部は2メートル程下がっていて、
そこに本尊の聖観音菩薩(平安時代後期・重文)が
祀られています。(参考画像)








鐘楼がありました。(重文)




元三大師堂(四季講堂)(重文)

こちらの元三大師堂慈恵大師良源の住居跡と伝えられています。
現代のおみくじの形は良源によって考案されたとのことです。









延暦寺は天台の教えのほか、密教、禅、念仏も行われて
仏教の総合大学の様相を呈し、
横川は源信、道元、日蓮など、多くの新仏教の開祖を輩出したところでもあります。


恵心堂(源信の旧跡)

この恵心堂は天台宗の恵心僧都(えしんそうず)源信(942〜1017)が
世俗化しつつあった叡山の中心から離れて往生要集」を著した場所で、
後の浄土宗浄土真宗の基礎を築きました。





道元禅師得度の地

こちらは禅宗曹洞宗の開祖道元禅師(1200〜1253)の旧跡です。




山道の石段をだいぶ降りていったところに石碑がありました。





定光院(日蓮上人の旧跡)

こちらは日蓮宗の開祖日蓮上人(1222〜1282)が20代の頃修行をした定光院です。
今は日蓮宗のお寺になっています。
パンフレットの地図の表示よりも相当遠かったです。




境内にはこのような手水鉢が。




日蓮上人の像も建てられていました。




それにしても遠かったです。






《西塔(さいとう)地域》


釈迦堂(転法輪堂)重文

西塔地域は寂光大師円澄によって開かれました。
中心となる本堂の釈迦堂延暦寺に現存する建造物中最古のもので、
もとは園城寺(三井寺)の金堂(1347年建造)でしたが、
豊臣秀吉が1596年に西塔に移築したものです。 

濃くなって来た霧の中、釈迦堂がかすんでいます。




屋根の曲線が大変美しい南北朝時代の建物でした。






常行堂・法華堂(にない堂)(重文)

2つの同じ形をしたお堂(左:常行堂 右:法華堂)が
廊下によって繋がれた建物です。




弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、
にない堂とも呼ばれています。









古めかしい鐘楼がありました。(重文)





浄土院(伝教大師御廟)(重文)

大師の御廟だけあり、大変厳粛な雰囲気でした。
霧が立ち込めてきましたが、あたりの静寂がなんとも言えません。




御廟ではありますが、
現在も修行を積んだ僧たちが、食事を整え、日課を守り
生前と同様に最澄に仕えているそうです。



お堂の前には菩提樹と沙羅の木が植えられています。
珍しい噴水もありました。




親鸞聖人修行の地

浄土真宗の開祖親鸞聖人(1173〜1262)の修行の地を示す
石柱が建っていました。





《東塔(とうどう)地域》

東塔地域は最澄が比叡山に入り、最初に修行の場を置いたところです。



栄西禅師修行の地

シャトルバスを降りた所に、
禅宗臨済宗の開祖栄西禅師(1141〜1215)の旧跡を示す道標がありました。



あまり遠くないことを祈って・・・




霧の中にありました。




修行の場はどれも中心から離れた所にあったようです。
今も静かなままの森の中でした。





霧が大変濃くなってあたりも暗くなってきましたので
途中で切り上げて
宿坊の延暦寺会館に早めに入りました。



主に信徒の方々の研修などに使われているそうですが
一般向けの食事や宿としてもOKだそうです。








夕食はお精進が用意されました。
右端の湯葉カツはとんかつによく似せてありました。
お水は湧き水、お米は専用の棚田からとのことでした。




明けて9月25日(日)です。
宿泊者の朝のお勤めは6:30からで
根本中堂に集合だそうです。



文殊楼(重文)と根本中堂(国宝)

延暦寺会館の前にある文殊楼への階段を上り、
そこから根本中堂への階段を下るのが近道と聞いて・・・。




やっと上がってきた文殊楼(もんじゅろう)です。
慈覚大師円仁が創建したものですが、
1668年に焼失し、その後建てられたのが現在の建物です。




早朝だったので、文殊楼の2階に上がる階段は閉まっていました。
楼上から見た根本中堂は参考画像でどうぞ。




そしてこの急な階段を下りました。
手すりがなかったらちょっと無理でした。




根本中堂(国宝)は巨大なお堂と、前庭に巡らされた重厚な回廊が一体となり
力強い外観を呈しています。




この根本中堂は最澄が788年に創建した「一乗止観院」が
時代と共に規模が大きくなったものとされています。
今の建物は信長の焼き討ち後、
1642年に徳川家光によって再建されたものです。

江戸時代に描かれた根本中堂です。 (参考画像)




おはようございます。おじゃまいたします。




根本中堂は東塔地域の中心であるとともに
延暦寺の総本堂でもあります。
祭壇前に並ぶ3つの「不滅の法灯」は最澄が灯したものといわれ、
1200年の間、灯り続けているそうです。
(堂内は撮影禁止でしたので参考画像でどうぞ)




根本中堂内でのお勤めの様子です。
お経の途中で、延暦寺会館に前日宿泊した人の名前が読み上げられ
びっくりしました。周りの方々が皆、般若心経を諳んじていらっしゃるのにも驚いた次第です。




最後に、杉の木の間から見た根本中堂です。




宿坊に帰って朝食をいただきました。




食堂からの朝霧にかすむ琵琶湖の光景です。








昨日の霧も晴れたようなので、東塔を引き続き見て回りました。



法然上人得度御旧跡


浄土宗の開祖法然上人(1133〜1212)の旧跡を示す道標です。




今回お山を巡る中で思いがけず、延暦寺で学んだ新仏教のパイオニア、
源信をはじめ、道元、日蓮、親鸞、栄西、法然の旧跡に出会ったことは大きな発見でした。



大講堂(重文)

こちらは比叡山のふもとの日吉東照宮に建造(1634年)された讃仏堂
1964年にここに移築したものだそうです。





戒壇院(重文)

天台宗の僧が大乗戒を受ける重要なお堂です。
最澄の死後7日目に、
比叡山が独自に授戒を行うことが嵯峨天皇より許可され
828年に戒壇院が創建されたとのことです。





阿弥陀堂

1937年に建立された、信徒の先祖回向の道場です。
内部には阿弥陀仏座像が祀られています。




法華総持院 東塔

1980年、信長の焼き討ち以来400年ぶりに
阿弥陀堂の横に再興されました。








二つの建物は奥で繋がっているように見えて
大変ゴージャスでした。




初めての比叡山でしたが
その広さと歴史と自然に触れることができました。
ただ、山の中に点在するお堂や旧跡がたくさんあるので
見落としたものもだいぶあると思います。

再びケーブルで、ふもとの坂本へと向かいました。
こちらの画像はケーブル延暦寺駅のわきの展望台からの景色です。
手前は琵琶湖大橋、左手前の島は沖島、後ろの高い山は伊吹山です。



ー続くー