16 June 2012

横浜 三溪園

Yoko

6月10日

東京から湾岸道路を通って、横浜本牧にある「三溪園」へと向かいました。

港が近づいて来た―という感じ。

鶴見つばさ橋を渡り

ベイブリッジを過ぎると本牧です。

三溪園

三溪園は、明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三溪(本名富太郎)が

東京湾に面した“三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造り上げた、広さ約175,000u(53,000坪)の日本庭園です。

明治39(1906)年に一般に無料公開された外苑と、三溪が私庭としていた内苑の二つの庭園からなり、

京都や鎌倉から集められた17棟の歴史的建造物と四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見どころとなっています。

三溪は、芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流。

三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、

下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。

1923年(大正12)の関東大震災後は、横浜市復興会長に就任し、それまでの作家支援を止め荒廃した横浜の復興に

力を注ぎました。三溪自身も書画をたしなみ、その作品の一部は、園内の三溪記念館に収蔵されています。

その後、戦災により大きな被害をうけ1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、

財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。

三溪園は美術、文学、茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもあります。

平成19(2007)年には国の名勝に指定され、庭園全域も文化財として位置づけられました。

三溪園や建造物の説明は、三溪園のホームページやパンフレットから抜粋しております。

原三溪は、無私の人。公に生きた人です。平成の世に欲しい方ですよね。

では、いよいよ三溪園へと入ります。

旧燈明寺三重塔(重要文化財)1457年建築。 1914年に京都木津川市の燈明寺から移築。

花菖蒲が見頃を迎えていました。

睡蓮の池

咲き始め

三溪園の全景。右下の正門から入ってきました。左手に花菖蒲、三重塔を見ながら進むと右手に蓮の池が。

中心上部の「臨春閣」へと向かいます。

因みに、左下、蛍の生息地があり、蛍の鑑賞会も開かれます。

御門の説明、よーく読むように!

御門 入ります。

あじさいも咲き始めていました。

臨春閣 全景。

1649年、紀州徳川家初代藩主の頼宜が、和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築。

1917年に移築されました。

向こうに見えるあの橋は・・・

この辺り、紅葉の季節はさぞや美しかろう。新緑も勿論よいのだが。

臨春閣の内部。中へは入れませんので外から写しましたが、狩野派の絵師による障壁画(複製。オリジナルは

三溪記念館で保存・展示)

よく晴れて気持ちのよいお天気。

旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)1591年建築。1905年移築。

豊臣秀吉が京都大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築。

途中、三溪園中央に位置する三溪記念館を見学し、三溪の書や画に触れました。

お抹茶も戴けるようです。

旧矢箆原家住宅・きゅうやのはらけじゅうたく 合掌造り (重要文化財)

江戸時代後期の建築。 1960年に飛騨白川郷から移築。

式台玄関や書院造の座敷など、農家ながら立派な接客の空間を備え、寺院に用いられる火灯窓がつけられるなど

飛騨の三長者の一人ともいわれた矢箆原家の豪勢ぶりがうかがわれます。

いろりでは毎日薪がくべられており、黒光りした柱や煙の匂いが昔の生活を彷彿とさせてくれます。

2階 蚕棚

燻されて合掌造りを後にし、最後にまた花菖蒲を愛で、約一時間半の散策を終えました。

蜻蛉が・・・

中華街へ行きましょう! 甘栗売りの客引きの強引さに驚きました。

中華街から山下公園までは、徒歩5分とかかりません。

ベロタクシーが何台も。

氷川丸

みなとみらい方面  お天気は下り坂・・・

正面の船の向こうに見えるのは “スカイツリー” なのだ。

流石にお背が高くていらっしゃるので、横浜からもよく見えました。

マリンタワー

ホテルニューグランド  30年前に泊まりましたが、横にタワー館が出来ていてビックリ!

三溪園は、寒椿、水仙に始まり、梅、こぶし、桜、ゆきやなぎ、藤、つつじ、さつき、睡蓮、花菖蒲

アジサイ、百日紅、ハス、萩、野菊、彼岸花、山茶花 etc.

美しい花と木々に恵まれ、いつ訪れても、伸び伸びほっとゆったりと楽しめそうな憩いの庭園です。

紅葉の季節にまた、訪れたいものですわ。

おしまい