25 Mar. 2010

最近実家の天袋の古雑誌を整理していたら、現在89歳の父(1920年生まれ)が長年所属している親睦会の会報に、
 
折々の紀行文や雑感を寄せている事がわかりました。読んでみますと、このHPペ−ジで既にお馴染みの観光地もあり、
 
我々の親世代の考え方、感じ方などもうかがえるようです。季節にちなんでもおりますので、しばし年寄りの相手と
 
思ってお読み下されば幸いです。(TH)

 

 
「花の吉野山」1985年(昭和60年)65歳時の原稿 TH父
 
 
 昨年のクリスマスパ−テイ−の福引は私にとって大事件でした。まさかと思った特別賞の、「大阪全日空ホテル
 
食事附一泊券」が当たって了ったのです。しかも二人分ですから家内も大喜びで、春になったら大和路の桜の花を
 
見に行こう、折角行くなら少し遠いが吉野山はどうだらうかと云う事になりました。
 
 
 四月十三日朝博多を発って、先ずは枝垂れ桜で名高い室生口の大野寺を訪れる事になりました。大野寺は前を流れる
 
渓流の対岸の岸壁に、日本では一番大きい弥勒の磨崖仏が刻まれていますが、之に向かい合って純白の枝垂れ桜が二本、
 
丁度満開の姿です。訪れた人々は只ひっそりと何時までも見上げて居りました。庫裡に続く庭には淡紅色の初々しい
 
枝垂れ桜が今を盛りと何本も咲き匂って、その下には鮮烈な黄色の連翹の垣根が眼に焼きつく様な印象でした。
 
 
 この渓流に沿って車で二十分程山に分け入ると、橋の向こう側に女人高野の名で知られた室生寺が見えて来ます。
 
杉木立の中に埋もれる様に咲く桜は金堂の屋根に花びらをこぼし、千年も昔からこうであったかという風情です。
 
写真などで有名な広い石段を登って愛らしい姿の五重塔にもお詣りしましたが、観光客も相当多いのに山奥のお寺は
 
実に静かなたたずまいでした。
 
 
 一夜明くれば十四日の日曜日。朝早く勇んで全日空ホテルを出発したのに近鉄吉野線は押すな押すなの人で、直行の
 
特急券は売り切れ。前売りを手配しなければ花見も出来ないのかと腹が立ち、行く先々の混雑を思って、吉野行きを
 
諦めようとしましたが、家内は一向にひるまず、「ここまで来て引き返すなんてとんでもない。普通急行で行きませう」と
 
主張し、結局二時間かかって吉野に辿りついてみると、バスもケ−ブルも超満員で乗用車が登山道路を埋めつくして
 
数珠つなぎです。やっとの事でタクシ−をつかまえて、かなり廻り道をしましたが僥倖にも吉野の一番奥の金峰神社まで
 
一気に登り着きました。水分神社で車を降り、桜を眺め乍ら歩いて山を降りることにしましたが、之がはからずも見物する
 
には最良の方法でした。
 
 
 吉野の桜は神木として大切にされ、永い年月の献木で増え続けて今や十萬本と云はれます。四月初旬に咲き始めて山を覆い
 
谷を埋めて山稜を咲き登ってゆくと聞きました。吉野随一の眺めと云う花矢倉の桟敷で、熱い甘酒を啜り乍ら見下ろした
 
花の雲の拡がりは、遥かに霞む大和の峰々を背景にして雄大な眺めでした。如意輪堂まで降りて来ますと、地から湧きだした
 
ような沢山の人々が山の斜面から谷を埋めつくして、賑やかに浮かれ騒ぐ花見風景です。楽しみにしていた柿の葉寿司は
 
とうに売り切れで、うどんを一杯喰べた丈で吉野山を降りました。
 
 
 今年はほんとに素晴らしい日本一の花見をさせていただき、家内共々感謝して居ります。初めての吉野の桜は見事でしたが、
 
あまりの混雑で源平や南北朝の史跡は影が薄く心残りでした。秋深い頃も一度訪れたいとしみじみ感じました。