09 Jan. 2015

天草 島原の旅                  川島道子


10月30,31日の二泊三日のドライブ旅行に、妹夫婦と

天草、島原にでかけ、まずキリスト教と南蛮文化の地、天草を

訪れました。30年近く前に行ったことがあるのですが、

その時の記憶はさだかでなく、今回は新鮮な目で見聞してきました。

 



天草五橋近くの展望台からの眺めは、大小さまざまな島が点在し、

天草松島と呼ばれ、日本三大松島の一つに数えられるにふさわしい眺めでした。

 

その夜のホテルの食事は、養殖車えびの産地らしく、車えびずくしでした。

 

翌日は天草市の歴史民族資料館を見たあと、市内を一望できる高台にある

天草キリシタン館に行きました。

 

キリスト教の伝来、南蛮文化、迫害、天草島原の乱、隠れキリシタン

などのテーマで構成し、それぞれの背景や歴史を紹介していました。

「天草島原の乱」についての映像による紹介には大きな衝撃を受けました。

 

天草四郎陣中旗も展示されていました。

 



玄関を出たところでの記念撮影で三人が手にしているのは、現在「長崎の

教会群とキリスト教関連施設を世界遺産」に登録の運動がなされていて、

賛同して署名した人におくられているティッシュペーパーです。

 

記念館の周辺を散策しながら街に入り、天草島原の乱の激戦区だった

祇園橋を訪ねました。この橋はこの地方一帯に見られるアーチ橋でなく

石造りの板橋のようで日本百名橋に選ばれています。

 

その後「乱」ゆかりの富岡城祉を訪ねました。富岡城は所有する唐津城主

寺沢堅高よって天然の要害の丘陵上に築かれた城で、一揆勢1万2千人の

攻撃を受けましたが落城しませんでした。

 

富岡城址からの眺望は素晴らしく「新くまもと百景」に選ばれています。

 

日本夕日百選で知られた下田温泉に宿泊した翌日、大江天主堂と崎津天主堂

を訪ねました。どちらも隠れキリシタンの里として長い年月、その信仰を

守り通してきた地域ですが、1987年(明治5年)の禁教令の廃止に

よって、2世紀半の間守りぬいた信仰を公にする時代がきました。

 



大江天主堂も崎津天主堂も明治以後度々建て替えられましたが、先祖代々の

信仰を守り抜いた人々と遠くヨーロッパから来島した神父の方々の献身的な

努力には胸をうたれました。

 



天草の北端の鬼池港からフェリーで対岸の口ノ津に渡り、原城へ行きました。

 

私の世代は「天草島原の乱」はキリシタンの反乱と長年教えられて

きておりました。我が家には父の集めたキリシタン関連の本がまとまって

あり、子ども時代にキリシタン弾圧の内容を怖いもの見たさに読みふけっていました。

 

天草キリシタン館での映像による説明で「天草島原の乱」の背景や歴史を

知り、この「乱」の事実を知って、私はその真実に衝撃を受けました

そして訪れた「原城」は、もう単なる観光の気分ではなく、鎮魂の思いで

静かな坂道を登っていきました。

 


唐津城主寺沢堅高の天草での悪政、島原城主松倉重政、勝家親子の暴政、

秀吉時代から始まった徳川幕府のキリシタン弾圧が重なり、日本の歴史上

最大規模の一揆が起こり、一揆勢が立て篭もって最後を迎えた場所が原城でした。

 

天草と島原の領民は、領主の悪政に相呼応するように立ち上がり、やがて

島原に合流しました。年貢の取りすぎとキリシタン弾圧の結果、領民にとって

生きることを守るという段階は通り過ぎていて、もはや早くこの世を去るために

結束するという絶望的なところに追い込まれていました。

 

原城に3万7千人(女、子どもなど1万3千人を含む)が立て篭もる一揆軍に

対して徳川幕府側は13万人を超える大軍で攻撃しました。

 



一揆軍は城内での食料と弾薬がつきたことで、原城は落城しました。

幕府の反乱軍への対処は残酷をきわめ、城内の生存者は密通した一人を

のぞいてすべて殺しました。そのために原城周辺の地域はしばらく

住む人がいなくなり、後に幕府は各藩に呼びかけて農民の移住をはかったほどです。

 



徳川幕府はこの乱を「キリシタンの反乱」として、国内のキリシタンの

取り締まりに利用しましたが、真の原因が松倉、寺沢の両城主の悪政に

あることで、寺沢堅高は所領没収の末自殺、寺沢家は断絶に至りました。

松倉勝家は大名として初めて斬首になり、松倉家は滅亡しました。

 

日本を代表する彫刻家の船越保武の作品に「原の城」という彫像が

ありますが、それを見ましたときにその表情に深い絶望と無限の悲しみを

感じ、原城の悲劇を見事に表現していることに胸をうたれました。

 

この作品が福岡市美術館で展示されたときに、父が何度も見に行き、

帰省した弟をさそって又見に行った話を最近知り、父が感じたものを

今の私も感じています。

 

若いころは「天草島原の乱」は暗くて悲惨な話として敬遠していましたが、

その悲劇に今回正面から向き合うことで考えさせられることが多く、

これからを生きるエネルギーにしたいと思っています。