03 Feb. 2014

世界的指揮者クラウディオ・アバドを偲んで

 

                      k.mitiko

 

 

1月20日の夜、就寝前にネットで知りました世界的指揮者

クラウディオ・アバドの訃報は、まさかと言う気持ちとやっぱりと

言う感情が入り混じり、大きな衝撃を受けました。

 

長い間フアンでしたので、その事実が受け止めきれず、同じファンの

息子にメールをおくりましたら、息子も心に穴が開くような衝撃だと

言っていました。

 

私の敬愛する(大好きな)アバドについて、素朴なクラシックの一ファン

として紹介したいと思います。

 

私のお宝映像

 

 

 

クラウディオ・アバドは1933年、イタリア・ミラノの著名な音楽一家に

生まれ、地元のジュゼッペ・ベルデイ音楽院やウイーン国立音楽大学

で学んだ後、イタリア国内を中心に指揮活動を開始しました。

 

 

 

1963年にミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝、1965年に

ヘルベルト・フオン・カラヤンに見出されて、ザルツブルグ音楽祭にデビュー

して国際的に知られるようになりました。

 

 

 

 

1968年にイタリアオペラの殿堂ミラノ・スカラ座の首席指揮者。

72年には音楽監督に就任。

 

 

若き日のアバドとピアニストのマルタ・アルゲリッチ

 

 

 

1972年にはロンドン交響楽団首席指揮者(のち)音楽監督に就きます。

86年にはロリン・マゼールの後を継いで、ウイーン国立歌劇場の音楽監督

になりました。

 

 

 

 

1990年、カラヤンの後任としてベルリン・フイルの団員の全員投票に

よって指揮者に選ばれ、芸術監督に就任しました。

 

Beethoven Symphonie ♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦NO,3 4th Mov.♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
Wiener Philharmoniker : CLAUDIO ABBADO

 

 

 

 

その後の活動は「軽やかなイタリア音楽から重厚なドイツ音楽まで、幅広いレパートリーを

手中に収め、とりわけ、マーラーの交響曲の全曲録音は名演で知られている。

ブーレーズら現代音楽の作曲家たちとも親交を結び、数々の楽曲を世に送り出した。」と

言われていました。

 

 

 

 

 

温和な人柄からの楽団員の信頼が厚く、ソリストとも対等に気持ちよく、粘り強く
簡潔に会話する姿勢はアバド独自のものでした。世界屈指のオーケストラや
歌劇場で指揮をする一方で、若手の後進育成にも力を注ぎました。
 
 

ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコとともに

 

 

 

日本でも人気があり、1973年にウイーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて

初来日して以来、何度もオペラや管弦楽を指揮しています。
 

私のお宝映像

 

 

2000年に胃がんが見つかり胃の全的手術。そこから見事に復活しましたが、

体力的に無理と言うことでベルリン・フィルを辞任します。このときアバドは70代前でした。

 

 

 

 

そこからがアバドの真価が発揮されます。

 

 

 

人間死ぬ気になれば何ができるかを、私たちの目の前で示してくれました。

 

 

 

 

アバドはがんの再発と闘いながら「マーラー・ユーゲント管弦楽団」

「ルツェルン祝祭管弦楽団」「モーツアルト管弦楽団」といった

スペシャルオーケストラを編成し、精力的に自分好みの優れた演奏家を

集めて、縦横無尽の活躍を示しました。

 

 

 

 

アバドによって新創設された「ルツェルン祝祭管弦楽団」は、毎夏、アバドを慕って

世界的なソリストたちが集う、ウイーン・フィルやベルリン・フィルに匹敵するドリーム・

オーケストラと言われています。

 

 

 

 

アバドは好きな音楽を好きな音楽家たちと演奏する立場を貫きましたが、往年の

名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンも自分のドリームチームのようなオーケストラを

持つことを夢みていましたが、実現しませんでした。

 

 

 

アバドは、そうしたドリームオーケストラを実現した初めての指揮者なのです。

彼のもとに集まる音楽家たちは、それぞれ世界の名門オーケストラで主要な

ポジションにいます。それでもアバドから召集の声がかかれば、即座に飛んで

きます。

 

アルト歌手アンネ・ゾフィ・フオン・オターとテナー歌手ヨナス・カウフマン  2011年5月

 

 

 

彼ら は、自分たちが今日音楽家として活躍できているのはアバドの存在があったからこそと

思っています。アバドとともに音楽をつくり上げるのは、何者にも代え難いものなのです。

 

 

 

 

アバドはベルリン・フィルの後任者サイモン・ラトルに「私の病気は恐ろしかったけれど、

その結果は悪いことばかりではなかった。私は今体の中から音楽が聴こえるような

気がするのです。胃がなくなった代わりに、体の内側に耳ができたような・・・。

これがどんなに素晴らしいことか、言葉にする術がありません。病気になったとき、

音楽が私を救ってくれた。それは間違いのないことです。」と語っています。

 

アバドとマルタ・アルゲリッチ  2013年3月ルツェルン音楽祭より

 

 

 

サイモン・ラトルは「彼は生涯にわたって偉大な指揮者でした。ここ数年の演奏は、何か

この世のものならぬ雰囲気を湛えていました。我々は皆、それを共に体験する幸運に

恵まれました。私個人に対しては、キャリアの最初から非常に優しく、鷹揚に接して

くれました。ユーモアと暖かさに溢れた関係は、つい先週の金曜日に至るまで続いたのです。

彼の思い出では、私の心に深く残ることでしょう。」と語っています。

 

 

 

 

 

昨年10月に7年ぶりの来日公演と被災地訪問を予定していましたが、健康上の
理由で中止と知り、私はもしやと悪い予感をしていました。
 

 

私はオペラやバレエほど器楽曲には詳しくありません。しかしアバドの指揮する音楽を視聴

していますと心地よく幸せな気分になれます。その人柄と音楽性は、いつのまにか私の心の

奥底に染みとおり、音楽の持つ偉大さ、そして魅力に取り付かれてしまいました。

 

私の好きなグスタボ・ドゥダメルと交歓

 

 

 

 

「アバドの本当の才能は、自分自身の能力を、人々の幸福、そして音楽のためだけに

生涯捧げ続けることができた、という1点に尽きるかもしれない。」吉田澄子氏発言引用

 

 

「人の真価は棺の蓋を覆いて定まる」と言いますが、アバドの生と死は悲しみとともに

これからを生きる私たちに勇気を与えてくれるように思います。その音楽性と人柄で、

多くの音楽家、聴衆を惹きつけた偉大な指揮者であるとともに、偉大な音楽家アバドの

冥福を心からを祈ります。

 

資料は息子のメールマガジンとネットより引用しました。