19 Aug. 2015



5月連休の旅(8)  松江城あたりA


T.H.

一夜明けて、快晴になりました。
ホテルの窓からの穴道湖の眺めです。
すんなりとした美しい松の木の姿が印象的です。




昨晩泊まったホテルです。
今回の旅で、松江の「一畑」は電車と共にお馴染みになりました。




穏やかな湖畔を観ながら出発です。
今日は楽しみにしていた松江の町です。





《堀川めぐり》


城下町の風情を求めて
まずは堀川の4kmを舟で巡ろうと、乗船場のある大手前広場へ向かいます。




松江城のお堀端に立つ「松江開府の祖」、堀尾吉晴(1544年〜1611)の銅像です。

関ヶ原の功績で出雲・隠岐の太守となった堀尾氏
安来の月山富田城(がっさんとだじょう)に入城しましたが
合戦本位に築かれた山城は既に時代遅れと悟り、中世より水運が開けた松江への移転を決定、
1607年に松江城を着工し1611年に竣工します。
しかしその半年前に吉晴は世を去り、息子忠氏も既に亡く、
結局孫の忠晴が城主となりました。

その後1638年からは徳川家康の孫の松平直政が初代藩主となり
明治維新まで10代230年のあいだ松平家が松江を治めました。




舟の発着場に来ました。始発に乗りましょう。




松江城を囲む外堀と内堀は、左の古地図と比較してもわかる通り
ほぼ築城当時の姿で残されています。
今も城を中心として町があり、当時の佇まいがそのまま引き継がれています。

 



発着場を後にして出発です。
紫と白の幕を張った水上の桟敷ではお茶会が行われていました。




こうした風景は城下町の当時から変わっていないような
不思議な感じがしてきます。




武家屋敷の格式ある長屋門が見えます。




カラコロ工房だそうです。旧日銀松江支店をリニューアルし
工芸館として2000年にオープン。




民家の塀も武家屋敷風に築かれて、景観が守られています。




小さな生き物たちもいます。







舟から天守が見える場所で止まって撮影タイムです。
堀の周囲は石垣と高い木立ちが続きます。




こんな低い橋の下をくぐるんですか?大丈夫?




低い橋の下をくぐる時は、このように天井が電動で下がるんです。
その間乗客は一斉に頭を下げ、身を伏せなければなりませんが。










舟はもとの大手門に戻ります。
降りて城内へと参りましょう。





《松江城》


石垣の外から見た松江城です。
明治の初め全国の城はほとんど取り壊されましたが
松江城の天守は地元の豪農や旧松江藩士等の有志の奔走により、
山陰地方で唯一保存されました。

左手前の2階建ての南櫓は125年ぶりに平成13年に復元されたもので
壁は漆喰の白壁ではなく、下見板張りという黒い板が張られた古い様式です。




広場を抜け、本丸へと急ぎます。
右奥に珍しいなんじゃもんじゃの木が満開の時期を迎えています。







当地独特の優雅な松の木の風情をご覧ください。




途中石垣下から見上げる天守

   



本丸に入ると目の前に見事に整った天守が現れます。




天守は屋根に木彫銅張りの2mもの高さの鯱鉾(しゃちほこ)を頂き、
千鳥が羽を拡げたような入母屋破風が特徴です。
天守閣正面には入口の防備を堅くするために付櫓(つけやぐら)が取り付けられています。

石積みは穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれた、大津の石垣施工集団によるもので
松江城の5年の築城期間のうち、3年が堅固な石積みに費やされたとのことです。




中へと入ります。




内部は実戦本位で太い木組みが城をささえています。




5階最上階に上がりました。
四方が展望できるように壁はなく、周囲に高欄が巡らされています。




天守からの宍道湖の眺望です。
水運で栄えた、豊かな土地は
平和な江戸時代の到来にふさわしいものでした。




当時の松江城下のミニチュア模型が展示されています。




こちらは寛永年間に作られた天守雛形とのことです。
修復工事の計画を練る際に役立てられたそうです。




甲冑や弓矢、




馬具などの大名のお道具類はどれも豪華な造りです。




間近に見る松江城はすっきりと洗練され、名城であることがうなずけました。




背面の渋さも完成度が高く、感動でした。




3日前に見た犬山城、そしてこの日5月5日の松江城。
山城と平城の違いはありますが、両者とも素晴らしい天守でした。
でもそれにしても犬山城が国宝なら、当然松江城も天守だけでもその価値はあるはず、
いや、内堀外堀をはじめ、城下町の町筋を今に残す松江城の方が上なのでは?
なのに何で?・・・という疑問と不満を感じたのも事実でした。

そして帰宅して間もない5月15日、
文化審議会による松江城天守を国宝に指定する答申があり
7月8日に正式に国宝となったのでした!

国宝指定が遅れていた理由、
それは国宝指定に欠かせない松江城天守創建時期を示す証拠、
つまり昭和12年の天守の調査時には存在が確認されていた
慶長16年(1611)と書かれた祈祷札が、行方不明になっていたのです。

ようやく平成24年に松江神社で見つかったのですが
お札に「松江城」を表す文言が書かれておらず
結局お札が打ち付けてあった場所を探して、天守の中を探すことになりました。
そしてついに地下の向かい合った2本の柱に、札の上下の穴と一致する釘穴を見つけたのだそうです。


こちらが創建時期を表す祈祷札

祈祷札 参考画像



赤い丸がかつて祈祷札が打ち付けられていた松江城地下の2本の通し柱です。

                                    参考画像
http://www.kankou-matsue.jp/about_matsue/matsue_castle/heritage/



《松江神社》

本丸の中に松江神社はありました。
初代藩主・松平直政公と茶の湯文化を広めた7代藩主・治郷(不昧)公、
そして松江開府の祖・堀尾吉晴公が祀られています。

市が血眼で行方を追っていた、国宝指定につながる祈祷札がここで見つかったのですね。




ー続くー