17 Jun. 2015



5月連休の旅(2)明治村 

T.H.

抜けるような五月晴れの午後になりました。

犬山市の丘陵地100万平方mを占め
文明開化の日本を象徴するハイカラな西洋建築が建ち並ぶ 
明治村にやってきました。
総て明治 大正時代に建てられた本物(!)
大変な手間をかけて移築された歴史的建造物である点が
普通のテーマパークとは全く違うところです。




《第八高等学校正門》
名古屋市瑞穂町
明治42年(1909)建造

博物館 明治村」と書かれた明治村の入場門は
名古屋の旧制第八高等学校正門です。
赤煉瓦に石の帯状装飾が入った門柱と
軽快なデザインの鉄の門扉は
当時の西洋建築の流行だったそうです。




昭和40年に開村した明治村には
1丁目から5丁目までの地区に67の展示が配置されています。




まずはこのチョコレート色の村営バスで
一番奥の5丁目へ直行し、
建物を見物しながら歩いて1丁目まで戻って来る事にしました。





**5丁目**







《帝国ホテル中央玄関》
東京都千代田区内幸町
大正12年(1923)

帝国ホテルはアメリカを代表する建築家
フランク・ロイド・ライトの設計で
大正12年の関東大震災の直前に完成し
被害を受けること無く昭和42年まで使用されました。




建物外観にとどまらず、
吹き抜けロビーの大きな柱やバルコニーにも
大谷石の彫刻や、刻みを入れた煉瓦が用いられ
モダンな重厚感を造り上げています。




こうしたインテリアのランプ類も
ライトの建物の重要な部分です。
              



ステンドグラス遣いの窓から見える庭の緑が素敵でした





《内閣文庫》
東京都千代田区皇居内
明治44年(1911)

こちらは皇居大手門内に建てられた内閣文庫の本館で
正面に4本の円柱や2本の隅角柱を備えた
本格的なルネサンス様式でした。



《皇居正門石橋飾電燈》
東京都千代田区皇居内
明治26年(1893)

そして建物の手前の台座の上の飾り電燈は
皇居前広場から皇居正門に架かる「石橋」
昭和61年まで据えられていたものです。





《大明寺 聖パウロ教会堂》
長崎県 西彼杵郡 伊王島
明治12年(1879)

大明寺 聖パウロ教会堂は明治6年(1873)のキリスト教解禁後
最も早く建設された教会堂のひとつです。
このように外観は農家風ですが・・・




内部は中央の身廊と両サイドの側廊に分かれ
天井は交差リブボールド天井(こうもり天井)という
立派な後期ゴシック様式でした。




祭壇の絵には日本語の文字が見られ
窓のステンドグラスは日本の麻の葉模様になっています。




右正面の壁には「ルルドの洞窟」も造られていました。





《隅田川 新大橋》
明治45年(1912)
東京日本橋浜町〜深川安宅町

隅田川の5本の橋のうち、最後に架けられたのが新大橋でした。
当時の生産不足から、鉄材は全てアメリカのカーネギー社のものが使われ
関東大震災の際はこの橋だけが残り、住民の避難に使われたそうです。

中央を市電が通り、両端は歩道となっています。
アールヌーボー風のデザインが素敵です。





《高田小熊写真館》
明治41年(1908)頃
新潟県上越市

乾板写真が普及した頃、越後高田に造られた木造洋風の写真館です。
2階のスタジオの北側の屋根は全面ガラス張りにするなど
撮影に必要な外光を取り入れる工夫が施されています。





《菊の世酒蔵》
愛知県刈谷市
明治初年(1868)頃

この建物は明治初年建造の穀物倉庫を
明治26年に移築し、酒造りの仕込み蔵として建て替えたものです。




3階建に見えますが天井裏が高い2階建です。
木造瓦葺きの日本建築で
軒下には大変大きな酒樽が置いてありました。




1階部分には酒造りの道具が工程順に展示してありました。





《金沢監獄正門》
石川県金沢市小立野
明治40年(1970)

広い敷地を高い塀に囲まれた金沢監獄は
この正門だけが唯一の出入り口だったそうです。

当時流行の石の帯状装飾をあしらった煉瓦造りで
左右に西洋の城門のような看視塔が立ち
アーチ状の中央門に鉄格子の脇門を備えた
堅固な中にも大変美しい建物でした。





《金沢監獄中央看守所・監房》
石川県金沢市小立野
明治40年(1970)

監獄の内部も洋式の配置が採用され
中央看守所を中心に監房が放射状に伸びていました。
この看視室は網走監獄で使われていたものだそうです。





《聖ザビエル天主堂》
京都市河原町
明治23年(1890)

明治23年、聖フランシスコ・ザビエルを記念して
ゆかりの地である京都にフランス人の設計原案と監督のもと、
日本人の手によって建てられました。




内部は中央の身廊と側廊からなる典型的なゴシック様式で
こうもり天井や束ね柱や階上の手すりは欅材で組まれており
美しい光沢を放っていました。




入り口中央の大きな丸い薔薇窓や両側の窓のステンドグラス、
また、キリストが十字架に架けられるまでを順に描いた「道行」の重厚な額に
教会の由緒ある歴史を感じました。




薔薇窓の模型の展示もありました。




天主堂は17世紀に農業用に造られた入鹿池のほとりに建ち
美しい景観を呈しています。





**4丁目**






《呉服(くれは)座》(重要文化財)
大阪府池田市西本町
明治25年(1892)

江戸時代の芝居小屋の伝統を留め
内部は木造の舞台とそれを取り囲む桟敷席です。
地方巡業の歌舞伎や壮士芝居、新派や落語、
また立憲政治や社会主義の演説会場にも使用されました。





《本郷 喜之床(きのとこ)》
東京都文京区本郷
明治末年(1910)頃

明治42年6月、石川啄木は函館に預けていた母、妻、長女を東京に呼び寄せ
画像左側の理髪店「喜之床」の2階を間借りし
東京朝日新聞に勤めながら
翌年「一握の砂」を出版しました。

まもなく結核が悪化して階段の昇降も困難となったため
小石川の小さな平屋建てに移り
明治45年に27歳で亡くなりました。




《小泉八雲 避暑の家》
静岡県屋焼津市城之腰
明治初年(1868)

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は
明治23年(1890)に来日し、
松江中学や熊本の旧制5高で英語を教え、明治29年に日本に帰化し
その年東京へ赴き帝大や早稲田で英文学を講じ
夏は画像右側の焼津の家で過ごしました。

軒が低い2階屋で典型的な町家の造りになっています。
こうして比べると明治初年と末年の家はずいぶん高さが違いますね。





《宇治山田郵便局舎》(重要文化財)
三重県伊勢市豊川町
明治42年(1909)

日本の郵便事業が明治3年(1870)に開始されると
伊勢の宇治山田にも明治5年に小さな郵便局が出来ますが
その後事業の拡大と共に移転や建て替えを重ね
明治42年(1909)にこちらの立派な宇治山田郵便局舎が完成しました。

円形の建物前部や両側のドーム付きの塔など、大変凝ったデザインです。





《鉄道寮新橋工場》
東京都品川区大井町
明治5年(1872)

この建物は明治5年に開業した新橋停車場構内に設置された
機関車の修復所だったところです。
イギリスから輸入した鉄造プレハブを用い
イギリス人の指導の下に組み立てられたそうです。

現在は明治時代の工場で使用された機械類の展示場になっています。




《リング精紡機》(重要文化財)
三重紡績会社
明治26年(1893)

1828年にアメリカで考案されたリング紡績機は
綿紡績の最終工程のための機械で
粗糸を一定の太さに引き延ばして撚りをかけ、自動的に巻き取るもので
日本の近代産業に大きく貢献しました。





《六郷川鉄橋》
東京都蒲田〜神奈川県川崎間の六郷川(多摩川下流)
明治10年(1877)

明治5年の鉄道開業時、新橋・横浜間の22本の橋は全て木橋でしたが
その後の複線化と共に鉄橋に架け替えられます。
このオレンジ色の鉄橋は明治10年11月、六郷川に架けられた
イギリスのリバプール製の複線用鉄橋で
その後は明治45年の複々線化の際、御殿場線の酒匂川に架け替えられました。
現存する国内最古の鉄橋だそうです。



《尾西鉄道 蒸気機関車1号》
明治30年(1897)製造

鉄橋の上の蒸気機関車(明治30年製)はアメリカのブルック社から輸入したもので
明治29年創立の尾西鉄道の1号機です。





《歩兵第六聯隊兵舎》
名古屋市中区二の丸
明治6年(1873)

明治6年(1873)明治政府は陸軍の構成単位として
全国に6つの鎮台(後に師団と改称)を
仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本に置きました。

こちらの建物は名古屋鎮台管内の歩兵第六聯隊の兵舎です。
明治政府はフランスの軍隊方式に学んでおり
この兵舎に関してもその建築法を採用しています。
外から見る限りではソフトなイメージの建物ですが
非常に堅牢で火事や地震にも強いものでした。




兵舎の内部です。ベッドや銃がきちんと並んで置かれていました。




当時の陸軍の制服です。





《日本赤十字社中央病院病棟》
東京都渋谷区広尾
明治23年(1890)

日本赤十字社は明治10年の西南戦争の際
両軍の別なく傷病兵の救護に当たった博愛社に始まります。
こちらの病院は明治19年に日本政府がジュネーブ条約に加盟し、
日本赤十字社と改名した折
皇室から御料地と建設資金が下賜され
赤坂御所の設計者により建てられました。





《旧制第四高等学校 武術道場》「無声堂」
金沢市仙石町
大正6年(1917)

こちらは金沢の旧制第四高等学校に建てられた武道場で
柔道、剣道、弓道の最新の設備を備えていました。





《シアトル日系福音教会》(旧シアトル住宅)
アメリカ ワシントン州 シアトル市
明治40年(1907)

日本からアメリカ本土への移民は
シアトル航路が開かれた明治の末からその数を増しました。
シアトルの新興住宅地のツーバイフォー工法のこの家も日系移民の所有となり
第二次大戦後は日系一世たちの教会として使用されました。




質素でこじんまりとした佇まいの家で
家庭的な教会といった感じの建物でした。





**3丁目**






《長崎居留地二十五番館》
長崎市南山手
明治22年(1889)

この住居は長崎の外国人居留地の南山手に建てられたもので
強い日差しを避ける深い軒や、窓の鎧戸、広いベランダなどの
植民地スタイルを残す一方で
日本の冬に対応した暖炉を各部屋に設置する等の工夫がなされています。








《神戸山手 西洋人住宅》
神戸市生田区山本通
明治20年(1887)代

長崎の西洋人住宅が植民地風であったのに対し
神戸の住宅は、当時横浜と共に発展していた大きな貿易港にふさわしい
より都会的な洗練されたものになっています。

とはいっても1階にも2階にもベランダが廻らしてあるのは
西洋人が海や山が近い神戸の景観を求めたからではないでしょうか。





《宗教大学 車寄》
東京都豊島区西巣鴨
明治41年(1908)

入鹿池を見渡す場所に瀟洒なあずまやとして建てられていますが
この建物はもとは宗教大学本館の車寄で
昭和43年の取り壊しの際、この部分だけが移築されました。





《京都市電》
明治28年(1895)開業

明治24年、京都は豊富な琵琶湖疎水を利用し
日本初の水力発電による電力供給を開始しました。
続いて明治28年には日本初の市電(伏見線6.3km)も開業しています。

これに先立ち明治23年に東京上野の勧業博覧会場内で
日本初の電車が走っていますが、市中を走ったのは京都が最初というわけです。
車体の色も木製の内装も大変素敵でした。
ただ、運転手さんは外気にさらされフロントガラスもなく、
大変な日もあったのでは?





《品川燈台》(重要文化財)
東京都港区品川
明治3年(1870)

開国に伴い欧米との通商条約が締結されると
日本各地の港に燈台や航路標識を設けることが取り決められ
明治3年、品川沖の人工島にもフランスの技術で燈台が設置されました。

こちらの品川燈台は現存する日本最古の燈台の遺構となっています。





《菅島燈台付属官舎》(重要文化材)
三重県鳥羽市菅島町
明治6年(1873)

明治初期の洋式燈台は外国人に管理が任されており
官舎は洋式に造られました。
この建物は明治6年に伊勢湾の菅島に燈台と共に建てられたもので
イギリス人技師の設計によるものです。





《西園寺公望別邸》「坐漁(ざぎょ)荘」
静岡県清水市興津町
大正9年(1920)

公家出身の西園寺公望は大臣や総理を歴任後
大正9年、71歳時に静岡県清水に純日本家屋の坐漁荘」建て
政官界を引退しますが
その後も暫くはここで元老として影響力を持ちました。
若い頃フランスに10年間留学した西園寺は80歳時に
2階の眺めの良い座敷の横に(多分快適な?)洋室と洗面所を増築し
90歳の天寿を全うしました。




家屋や庭の手入れが行き届いていたのが印象的でした。





《幸田露伴住宅》「蝸牛(かぎゅう)庵」
東京都墨田区東向島
明治初年(1868)

幸田露伴は明治20年に21歳で通信技師の職を辞し、文学の道を志します。
自分の家を蝸牛庵(かたつむりの住い)と称して
転居を繰り返し、この家には明治30年以来10年間住みました。





《北里研究所本館・医学館》
東京都港区白金
大正4年(1915)

北里柴三郎博士はドイツに留学し、コッホのもとで細菌学を学び
破傷風やジフテリアの血清療法の開発や、ペスト菌の発見など
日本の防疫に大きく貢献しました。

このドイツバロック風の建物は博士が大正4年に
白金に建てた北里研究所の本館です。
上下階とも廊下を南側に取って
北向きの部屋での安定した光で顕微鏡観察が出来るように配慮されています。





**2丁目**






《札幌電話交換局》(重要文化財)
札幌市大通り
明治31年(1898)

こちらの札幌電話交換局は明治31年に完成し、
翌年から交換業務を開始しました。
上下階の境目に帯状の彫刻を入れたり、
窓のデザインを変えたりする事によって
石造りの硬い単調なイメージに変化を与えています。





《東松(とうまつ)家住宅》(重要文化材)
名古屋市中村区船入町
明治34年(1901)

東松家住宅は名古屋の中心部の堀川沿いに建てられ
明治20年代後半まで油問屋を商い、昭和の初めまで銀行を営んでいました。
塗家造りという江戸時代以来の工法で建てられ、後年2階と3階を増築しています。
間口が狭く、左側に土間を裏まで通した典型的な町家で
右側に店や座敷が連なり、土間は3階まで吹き抜けにして明かりを採りました。
また2階に茶室を設けて趣味の茶を楽しんだようです。








《東山梨郡 役所》(重要文化財)
山梨市日下部町
明治18年(1885)

山梨県は明治13年の太政官布告により9郡に分けられ東山梨郡が誕生し
明治18年にこの新庁舎が建てられました。
当時の県令の藤村紫郎は地元に多くの西洋建築を建てたそうです。
ベランダを廻らせた正面棟の左右に翼棟を配置する構成は
内務省に代表される当時の官庁建築の特徴でした。





《第四高等学校物理化学教室》
石川県金沢市仙石町
明治23(1890)

この建物は明治23年に金沢の第四高等中学校の
物理化学実験教場として建てられ
その後第四高等学校、金沢大学に引き継がれました。




実験の講義はこのような階段教室で行われました。





《千早赤阪小学校講堂》
大阪府南河内郡千早赤阪村
明治30年(1897)頃

こちらの講堂は木造2階建で1階は軒にアーケードを廻らした雨天体操場、
2階は天井が高く、細長い凝った窓の講堂になっています。

小学校の校舎にこのような優雅なこだわりを持っていた時代を
感慨深く想像させられました。






**1丁目**






《三重県庁舎》(重要文化材)
三重県津市栄町
明治12年(1879)

明治12年に完成した三重県庁舎です。
正面棟の左右に翼棟を配した、当時の典型的な官庁建築で
2階全体に廻らされた白いバルコニーも、アーチ型の窓も
とてもお役所とは思えない瀟洒な印象でした。
こうした西洋建築の庁舎を当時の県令達が競って建てたということです。





《鉄道局新橋工場》
東京都品川区大井町
明治22年(1889)

明治20年代に入り蒸気機関車や客車などの車輌や
鉄道施設の国産化が進められました。
ここ鉄道局新橋工場のプレハブは初期の国産製品です。




《明治天皇御料車》
新橋工場製作
明治43年(1910)

明治天皇の御料車は6号車まで造られ
こちらは最も豪華な6号車で全長20mの漆塗り、
内部は工芸の粋が凝らされています。
光の反射でよく見えませんが、雰囲気だけでもどうぞ。





《昭憲皇太后御料車》
新橋工場製作
明治35年(1902)

昭憲皇太后の専用の御料車は全長16m、
天井画や、実家の一条家の家紋をあしらった布を張った椅子等の
調度で整えられています。





《森鴎外・夏目漱石住宅》
東京都文京区千駄木町
明治20年(1887)

陸軍軍医として明治17年から明治21年までドイツへ留学した森鴎外
帰国後、明治23年に処女作「舞姫」を書いた後
この家を借りて1年余り生活し
その間留学経験をもとにしたドイツ3部作のひとつ「文づかひ」を発表しました。

その後明治36年から明治39年まで夏目漱石がここを借りて住み
「我輩は猫である」をはじめ、「坊ちゃん」、「草枕」を書きました。





《西郷道邸》(重要文化材)
東京都目黒区上目黒
明治10年(1877)代

西郷隆盛の弟の西郷道は維新政府の中枢に在り
陸海軍の大臣を歴任し、各国の在日高官との接触も多かったことから
接客の場として屋敷内に木造2階建ての洋館を建てました。

設計は来日中のフランス人の建築家で
専門である耐震設計の知識を駆使し
優雅な外観と耐震性を兼ね備えた建物となっています。










階上へと導くこの廻り階段は美しいだけではなく
大変昇降が楽なのだそうです。





《聖ヨハネ教会堂》(重要文化材)
京都市下京区河原町通五條
明治40年(1907)

こちらは明治40年にアメリカ人の設計で京都河原町に建てられた
日本聖公会の聖ヨハネ教会堂です。
ロマネスク様式にゴシック様式を交えた煉瓦造りです。







2階が会堂になっており、
1階は幼稚園や日曜学校に使用されていました。








《三重県尋常師範学校・蔵持小学校》
三重県名張市蔵持
明治21年(1888)

明治19年、各県に小学校教師の養成のための
師範学校が設けられることになり
明治21年にこの三重県尋常師範学校が建てられ
昭和3年に移築され蔵持小学校の校舎となりました。





《大井牛肉店》
神戸市生田区元町
明治20年(1887)

慶応3年に神戸が開港し、外国人が住み始めると
肉の需要の高まりと共にこのような牛肉店が出来ました。
従来の町家の敷地に白亜の西洋館が出現した感じです。
コリント式の柱やイタリア風のバルコニーに
黒い日本瓦や入口のひさしや「牛鍋」の暖簾が
感心するほどマッチしていました。
今回は時間がありませんでしたが、
次は中に入って牛鍋を食べてみたいと思います。





以上5丁目から1丁目まで約4時間の駆け足見学でした。
想像をはるかに上回る規模と内容でした。
見落としもあり、総てとはいきませんでしたが
貴重な直輸入の「ハイカラ」に触れた思いです。

明治は遠くなりましたが、
文明開化に尽力した当時の人々の気概や希望を感じた次第です。


*****


バスで近鉄犬山駅へとやってきました。




もう一度スマートな近鉄電車に乗って・・・




なんとか間に合いました。再びJR名古屋駅から新幹線で
今日の宿泊地岡山へと参りましょう。
それにしてもよく歩いた1日でした。




参考 http://www.meijimura.com/about/outline/

      「明治村」 名古屋鉄道株式会社 平成5年4月発行