25 Jan. 2014

奈良訪問 その6 東大寺 大仏


《東大寺》

東大寺は華厳宗の大本山で
かつての平城京の北東に面した広い一帯に
大仏殿の伽藍や、天平時代の仏像や文物を伝えるお堂が建っています。

奈良のタクシーの運転手さんに
「奈良で一番格式のあるお寺はどこですか?」とあまりにも初心者の質問をすると、
「そらーもー東大寺やろねー」という返事です。
今も昔も不動の地位という実感が伝わりました。


参考画像 http://www.narakanko.net/sights/kodo-ato.html


東大寺は聖武天皇(701年〜756年)が
夭折した皇子の供養のために、728年に建立した金鐘が始まりだそうです。

また聖武天皇は相次ぐ疫病や災害、そして当時恐れられた政変による祟りを鎮め
仏教の教えをもって国を護るため
741年に全国に国分寺・国分尼寺建立の詔を出して
金鐘寺を国分寺に昇格させて名を金光明寺としました

次いで同じく大仏建立の詔(743年)を出し
恭仁京、紫香楽宮、難波宮と相次いで行っていた遷都を再び平城京へ戻して
鋳造が開始された年に東大寺と改めたという事です。

その後皇女(孝謙天皇)に譲位(749年)して聖武太政天皇となり
752年に待望の大仏開眼会を迎えます。
そして2年後に唐から来日した鑑真による授戒を受けて(754年)出家し
大仏殿の完成(758年)を待たず、756年に崩御します。

8世紀末になって伽藍が整うと、
東大寺は奈良仏教の6宗と、天台、真言を合わせた8宗の僧が集って仏教を学ぶ
八宗兼学の寺へと発展して行きました。

参考 http://www.todaiji.or.jp/contents/history/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/東大寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖武天皇



                参考画像               
東大寺は「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコ世界遺産に登録されています。


 南大門(国宝) 鎌倉時代(1203年再建)

東大寺の伽藍の正面に建つ南大門は日本最大の山門で
何といっても一番の観光スポットですからこの人の波です。

奈良時代創建の南大門は平安時代に台風で倒壊(962年)し
その後鎌倉時代に宋の建築様式(天竺様)を用いて再建(1203年)されました。
同時に門内には木造金剛力士像(仁王像)が建立されました。


南大門(国宝) 鎌倉時代1203年


後ろから首を伸ばして来たこの鹿に
私のバッグの中のパンフレットをビリッと噛み切られました。
それでも鹿って可愛いですね。


国宝 木造金剛力士立像(仁王像)  鎌倉時代(1203年)

門内で向かい合って立つ仁王像です。高さは約8.5m。
近くで観上げるとやはり信じられないほど巨大で素晴らしい彫刻です。
左は金網越しに撮った画像でちょっと見にくいですが・・・。
は午後の陽射しが強くて画像に残せず参考画像でご覧下さい。


   
阿形あぎょう(運慶・快慶作)               吽形うんぎょう(定覚・湛慶作)



 中門(重文) 江戸時代(1709年再建)

大仏殿と共に江戸時代に再建された中門です。
両側の回廊金堂(大仏殿)付近まで囲んでいます。

中門(重文) 江戸時代(1709年再建)


金堂(大仏殿)と盧舎那仏(大仏)

聖武天皇の発願により完成した大仏は
朝廷と寺院の威光を揺るぎないものにしました。

現在の大仏殿の中に、奈良時代創建当時の伽藍を推測して造られた模型が展示してあります。
当時の大仏殿の間口は現在の5割増で、両側には巨大な七重塔がそびえ、
相輪も入れると90m以上の高さだったそうです。



こうして奈良時代の日本の総力を挙げて完成させた大仏と大仏殿でしたが
やがて被災と復興の歴史をたどります。

855年に襲った大地震で、大仏は頭が落ちる被害を受けました。
また1180年には平重衡の南都焼討で大仏殿は焼失し、
大仏も台座や下半身の一部を残して焼け落ちました。

下図は炎上する大仏殿と平重衡の将兵を描いた室町時代の絵巻物です。

東大寺大仏縁起絵巻 芝琳賢筆 室町時代
参考画像 http://plaza.rakuten.co.jp/syoucyann1582/diary/201007290000/


やがて東大寺は重源上人の尽力により復興し
大仏の開眼法要(1185年)と大仏殿の落慶法要(1195年)が行われました。

この時大仏の開眼の筆を執ったのは後白河法皇であったといわれます。
また大仏殿の落慶法要には後鳥羽天皇や、
重源上人に多大な寄付をした源頼朝北条政子と共に臨席したという事です。

同じこの年には壇ノ浦で平家が滅んでおり
歴史の転換点を見る様な光景だった事でしょう。


***


次いで起きた松永・三好の合戦(1567年)によって大仏殿は再び炎上し、
大仏も頭部に大きな損傷を受けます。

江戸時代になり東大寺の公慶上人の尽力により
大仏の頭部が鋳造されて開眼法要(1692年)が行われ
大仏殿は間口が3分の2に縮小されて落慶供養(1709年)が営まれました。

将軍徳川綱吉や生母の桂昌院により莫大な援助がなされた事も
復興の大きな力になりました。

東大寺に伝わる大仏開眼の様子を描いた絵画です。
大仏殿はまだ着工されていないようです。

大仏開眼・大仏殿落慶供養図」江戸時代
画像参考 http://ameblo.jp/elephant-dogfight/archive-201304.html


大仏殿の落慶の様子です。中門から伸びる回廊も描かれています。
現在の大仏殿と中門の、300年以上前の姿ということになります。

大仏開眼・大仏殿落慶供養図」江戸時代


 2枚の屏風になっています。 
参考 http://d.hatena.ne.jp/mari37/20101117

***

300年後の現在の平和な大仏殿です。
観光客でいっぱいです。

国宝 金堂(大仏殿)奈良時代(758年創建)江戸時代(1709年再建)



建物は江戸時代という感じは確かにしますが、さすがに立派です。
8月15日の夜の万灯供養会(まんとうくようえ)には
大仏殿正面の観相窓が開かれ、光の中に大仏のお顔が浮かび上がるとのことです。


金銅八角燈籠(国宝)奈良時代


金銅八角燈籠(国宝) 奈良時代
 
大仏殿の正面に立つ八角燈籠奈良時代の創建時のもので
これは被災を免れたようです。
大きさと立派さに感心して記念撮影しましたが
本当の素晴らしさは火袋の羽目板の装飾であることに気付かず、後で知りました。
羽目板4面には、それぞれの楽器を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)の像が
浮き彫りになっています。
四枚のうち二枚は紛失や破損でレプリカのため
奈良時代のオリジナル二枚をどうぞ。


   

折角なのでレプリカの方もどうぞ。

   
参考画像 http://kimamatime.exblog.jp/10154697/


本尊・盧舎那仏(大仏)1692年再建


国宝 盧舎那仏(大仏)奈良時代(752年創建)(1692年再建)

発願した人も、鋳造した人も、再建した人も偉いです。
すごいですね、この大きさ!



この角度からのお顔が素晴らしいです。
 

大仏の左右には江戸時代に造られた黄金に輝く脇侍が控えています。
やや童顔というのが堂内に明るさと新鮮さを与えていました。



木造 如意輪観音 坐像(重文)江戸時代(1738年)

今回、大仏と大仏殿の建立と再建にかけられた
1300年近くに亘る、人々の途方も無い情熱と信仰心を知りました。

—続く—