03 April 2014


早春の京都旅 三十三間堂 知恩院 TH



《蓮華王院・三十三間堂》

三十三間堂(国宝)は正式には蓮華王院といい
後白河法皇の院政庁があった「法住寺殿」の一画に
法皇の命により平清盛が資材を寄進し、建立(1164年)されたものです。
1249年に大火で焼失しますが1266年に再建されました。

お堂の全長は120mで、正面の柱と柱の間が33あることから
三十三間堂と呼ばれ、現在は天台宗の妙法院に属しています

三十三間堂(国宝)鎌倉時代(1266) 再建

三十三間堂の西側。クールです!


三十三間堂の本尊は
堂内中央の3m余の千手観音座像(国宝)と、
その両側の1000体と、座像の背後の1体の
総計1001体の等身大の千手観音立像(重文)です。

11面、40手を備えたおびただしい数の千手観音立像が
10段の階段の上に、お堂の端から端までぎっしりと並んだ光景は
まさに圧巻です。

これらの観音立像のうち124体は創建時の平安時代のもので
残りは鎌倉時代の復元だそうです。

 参考画像:三十三間堂パンフレット   

  
                 千手観音立像(重文) 平安時代(1164年)・鎌倉時代(1266年)                 


創建時(1164)の三十三間堂の観音像の造立を手がけたのは
康助が率いる奈良仏師達で
弟子の康慶も息子運慶(1150頃〜1224を伴い参加していました。
その時運慶少年が彫った「千手観音立像510号」が残されています。

千手観音立像510号(重文) 平安時代 運慶


そして大火による三十三間堂の焼失後(1249)、
仏師達を統括して復興を担ったのは
運慶の長男の湛慶(1173〜1256)でした。

湛慶は82歳の高齢で現在三十三間堂にある千手観音坐像(国宝)を
1254年に完成させますが落慶を待たず2年後に死去します。
湛慶による千手観音立像も残されていますので併せてご覧下さい。


  
千手観音像座像(国宝) 鎌倉時代(1254年) 湛慶             千手観音立像20号(重文) 鎌倉時代 湛慶


ここで運慶と湛慶の肖像の紹介です。
慶派の写実的な人物描写に驚きます。
この時代、仏師は僧形だったようです。

  
運慶像(重文)           湛慶像(重文)六波羅密寺蔵


二十八部衆(国宝)

二十八部衆は千手観音に従って仏教とその信者を守護する神々です。
多くは古代インドに起源を持ち
名称も姿もそれぞれが個性的で変化に富んでいます。

美しい女神や甲冑の武神、音曲の神、仁王像、老婆・・・。
28体が堂内の最前列に行けども行けども途切れる事なく並んでいます。


いくつか紹介しますと

帝釈天(国宝)

大弁功徳天(国宝)

毘楼博叉(国宝)

摩和裸女(国宝)

迦楼羅(国宝)


  
密迹金剛(国宝)      那羅延堅固(国宝)



風神雷神像(国宝)

二十八部衆の両端に安置されています。
後世の絵画にも大きな影響を与えた鎌倉彫刻です。


   
風神(国宝)鎌倉時代                 雷神(国宝)鎌倉時代


こちらは俵屋宗達(1570年頃〜1640年頃)の「風神雷神図」です。
このような屏風の題材にも取り上げられました。


風神雷神図屏風(国宝)俵屋宗達 江戸時代


通し矢

江戸時代、三十三間堂は各藩の弓の名手が腕を競い合う「通し矢」の晴れ舞台でした。
下図のように堂の西縁の南端から北端まで
120m離れた的に向かって軒天井に当たらぬよう矢を射通す競技です。


江戸時代の「通し矢」の様子 歌川豊春作    参考画像:Wikipedia

SAN16
こちらの西縁で「通し矢」が行われたのでした。
それにしてもよほどの遣い手でなくては、先ず矢が届きませんね。


参考画像
                      


南大門と太閤垣(重文)

桃山時代の三十三間堂一帯は
豊臣秀吉が造営した方広寺大仏殿の境内に含まれていたため
南大門太閤垣と呼ばれる築地塀とが残っています。
西大門も存在しましたが、明治期に東寺の南大門(重文)として移築されたそうです。
この日東寺にも行ったので経緯を知り面白かったです。


  
太閤垣(重文)                   南大門(重文)

(参考)
三十三間堂HP:http://sanjusangendo.jp
Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/三十三間堂
http://ja.wikipedia.org/wiki/運慶
http://ja.wikipedia.org/wiki/湛慶
堂内は撮影禁止でしたので画像はサイトよりお借りしました。


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《知恩院》

知恩院は法然上人(1133年〜1212年)を始祖とする浄土宗の総本山で
宗徒であった徳川家康の庇護を受けて江戸時代に壮大な伽藍が整えられました。


三門(国宝)江戸時代(1621年)

この三門は二代将軍徳川秀忠により建立(1621年)されました。
山門を「三門」とするのは
仏教の悟りに通ずる三つの解脱の門を象徴しているのだそうです。
高さ約24m、幅約50mの大変立派な門です。
賑やかな通りに面して立っていて、ライトアップなどもされています。





この日はちょうど三門の楼上の仏堂が特別公開中でした。
ところが登り階段は思いのほか急で、
極端に狭い踊り場、揺れる手すりロープ、下がスカスカに見える造りに
途中で引っ張り上げたり押し上げたりする係の人が居てくれなかったら
どうなる事かと思いました。

やっとたどり着いて安堵した仏堂は、豪華な仏像が安置され
天井や柱や壁には天女や龍が極彩色で描かれて
楼上に繰り広げられた浄土といった雰囲気でした。

参考画像


現在御影堂は大がかりな修理の最中で
境内も何かと通行規制中でしたので
2020年に完成したらお庭なども落ち着いて拝観したいと思います。