28 Mar. 2014


早春の京都の旅 東寺 観智院   TH

春浅い京都へ行って来ました。
冬枯れではありましたが、ちょうど「京の冬の旅」と銘打って
お寺の文化財の特別公開などもやっていました。

《東寺》

東寺は教王護国寺とも呼ばれ、真言宗の総本山です。
京都駅からも見える五重塔は賑やかな街の中の塔と思っていましたが認識不足で
広大な敷地の塀からそびえる巨大な姿に驚きました。

東寺に関する知識がゼロでしたので簡単なまとめです。

東寺は国家鎮護の官寺として平安遷都後の796年に
朱雀大路南端の羅城門の東に着工されました。

その後桓武天皇の皇子嵯峨天皇は
唐から密教をもたらした空海(774年〜835年)に
根拠地となる高野山を下賜(816年)し、
さらに823年には建設中の東寺を下賜して伽藍の造営を空海に託し
9世紀末までに堂塔が完成します。

東寺が官寺として厚い保護を受けつつ、根本道場として発展する一方で
西寺も当初は存在しましたが後に廃寺となりました。

        参考画像

下記の平安京の地図を見ると、現在の御所は東へ寄っていますが
東寺は伽藍の位置も規模も創建時のままという大変貴重なお寺です。
1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。

平安京地図

南大門のある九条通りには、立派な塀と掘割が見られます。

東京発7時30分の「のぞみ」で上洛し
結構キツいスケジュールでした。
何しろいい歳してほとんど京都初心者なので、
せめて主要なところを少しずつ廻っておこうと思いたちました。


東寺の案内図です。
南大門、金堂、講堂が一直線に並び、
両脇に五重塔と灌頂院を置く伽藍配置になっています。

        参考:東寺パンフレット



南大門(重文)桃山時代1601年再建

東寺の正面玄関の南大門は1601年に再建されたもので、
1895年に三十三間堂から移築されたものだそうです。

「東寺」の提灯です。

正面に見えるのは金堂です。


金堂(国宝)桃山時代(1603年再建)

東寺が空海に下賜された時、金堂は既に完成していました。
その後室町時代(1486年)に全焼し
約120年後の1603年、徳川家康の勧めで豊臣秀頼が再建しました。

正面の軒が一部折り上げられているのが特徴で
天竺様と和様で建てられています。

建物の入口は正面ではなく横に付いています。

金堂の本尊は薬師如来坐像で、脇侍は日光菩薩月光菩薩です。
台座の周囲には十二神将像を配しています。(いずれも重文 1603年)
桃山時代を代表する仏師康正の作で、木造漆箔です。

参考画像:東寺パンフレット
月光菩薩          薬師如来坐像          日光菩薩

台座の十二神将像



講堂(重文)室町時代(1491年再建)

講堂は825年に着工、空海が高野山で亡くなった835年に完成し
4年後の839年に開眼供養が行われました。
室町時代(1486年)に全焼しますが
いち早く5年後に和様で再建されました。
東寺で最も中心を成す建物だったからだそうです。

   講堂(重文)室町時代 1491年再建        参考画像

東寺には真言密教の「大日経」の教えを仏の姿で描いた
下記の胎蔵曼荼羅(国宝)が伝えられていますが
講堂内は二十一体の仏像の配置によって空海の教えが立体的に表現され、
迫力ある「立体曼荼羅」の世界となっています。

胎蔵曼荼羅(国宝) 東寺 9世紀     Wikipedeaより


講堂 立体曼荼羅

                                     参考画像:東寺パンフレット
細長い堂内空間を一杯に使って「曼荼羅」が展開されています。

反対側から見たところです。

堂内の21体の仏像群はこのようにグループで配置されています。

中央の〈如来部〉の仏像5体と
〈菩薩部〉の金剛波羅蜜多菩薩の計6体は焼失したため後世の作ですが
残り15体は創建時の貴重なもので、いずれも国宝となっています。

21体の仏像の写真は下記のサイトの配置図からどうぞ。
http://www.touji-ennichi.com/info/koudo_j1.htm

いくつか目についた個性的な仏像がありました。

不動明王(国宝)平安時代 (839年)
                   参考画像
不動明王は真言宗の最高位の大日如来の化身なのだそうです。
怒りや威嚇だけではない悲しみのような表情が印象的でした。


帝釈天像(国宝)平安時代 (839年)                          梵天像(国宝)平安時代 (839年)
                      
   
                                  参考画像 東寺パンフレット
どちらも大変エキゾチックで魅力的ですね。
特に帝釈天は仏像界一の美男子なのだそうです。


五重塔(国宝)江戸時代 1644年再建

五重塔は826年に空海によって着手されますが
材木の調達がはかどらず、空海の死後48年経った883年に完成しました。
大変な工事だった事が想像されます。
その後落雷等により4回焼失し、
現在の塔は1644年に徳川家光により寄進されたものです。
総高54.8mで、奈良の興福寺の50.1mをおさえ、
現存する日本で最高の古塔とのことです。

境内の瓢箪池です。

ちょうど梅が咲いていました。

桜も・・・わずかに枝先に咲いています。


ちょうど五重塔の初層(1階)部分が特別公開されていましたので
内部を拝観しました。

近くに寄ると大変迫力があります。

塔の初層には東西南北に入口がついています。    参考画像

ここから中に入ります。            参考画像

初層内部は暗く、意外に狭く感じました。
仏像の配置は左下の説明のように
塔の中央の心柱(しんばしら)を大日如来に見立てて
その周囲に4体の如来像と八体の菩薩像が安置されており、
四方の壁も柱も天井も退色していますが極彩色の絵で飾られ、曼荼羅を形成していました。
                      
  
                                     参考画像



大師堂(西院 御影堂)国宝 南北朝時代(1380年再建)

西院は東寺の北西の一角にあり、
空海はここに住みつつ東寺の造営や立体曼荼羅の構想を練り、
835年に自らの死期を悟って高野山へ旅立ったと言われています。
1379年に焼失し翌年再建されました。



大師堂(国宝)南北朝時代 1380年再建

大師堂の北側はこのように礼堂になっています。
鎌倉時代に彫られた弘法大師座像(国宝)を拝するため
1390年に大師堂に増築されました。

中世以降、民衆にとっては難解な密教の教義よりも
悟りを開いた弘法大師空海が信仰の対象となりました。
大勢の人々のお参りの場としてこの建物は今も変わりなく使用されています。

弘法大師座像(国宝)鎌倉時代(1233年)康勝作

康勝は鎌倉時代の仏師運慶の息子でした。 参考画像 

ついでですがこちらは康勝のよく知られた作品で
市中で鐘を叩きながら念仏を唱える「空也上人立像」です。

「空也上人立像」康勝作(重文)鎌倉時代 六波羅蜜寺蔵


こちらは鎌倉時代に多く描かれた弘法大師の肖像画ですが
大師堂の「弘法大師座像」と共通する所があり、興味深いですね。

弘法大師像(重文) 鎌倉時代 西新井大師蔵


こちらは大師堂の南側です。
ここには空海の念持仏の不動明王(国宝 秘仏)が安置されています。
小規模ながら、入母屋造りの桧皮葺の屋根や、蔀戸、そして縁側の欄干が
優雅で丁寧な住まいといった印象でした。


蓮花門(国宝)鎌倉時代(1191再建)

壬生通りに面して建つ簡素な蓮花門(国宝)です。
東大寺の転害門と同じ八脚門という構造で天平の雰囲気を残すものだそうです。
名前の由来は、空海が自らの死期を悟って高野山へ旅立つ際
この門を通った時、足下に蓮花が咲いた事によるとのことです。



*****


《観智院》

観智院は東寺の塔頭(たっちゅう)で1359年頃創建されました。
真言教学で重きを成し、徳川家康により勧学院と定められた別格本山です。
東寺の北大門近くにあり、ちょうど特別拝観中という事で行ってみました。




枝垂れ梅と見事に手入れされた松が出迎えてくれました。


客殿(国宝)桃山時代(1605年再建)

国宝の客殿は軒に破風が付いた入母屋造り、銅葺きです。
桃山時代の「書院造り」の典型だそうです。

縁側の前には枯山水で「五代の庭」が造られています。

                                        参考画像 観智院HP 



五代の庭 1977年

庭の石の配置は、唐で密教を修めた空海を乗せた遣唐使船が
海上で難に遭いながらも
海神に護られながら無事に帰還する姿を表しているそうです。
40年程前に造られたまだ新しい庭です。



空海の乗る遣唐使船の絵は「弘法大師行状絵詞」や「高野山大師行状図絵」にも描かれています。

              「弘法大師行状絵詞」(重文)南北朝時代 東寺蔵      参考画像 東寺HP 
海中に龍神が描かれています。
            

「高野山大師行状図絵」江戸時代前期 高野山親王院蔵


客殿「上段の間」
この部屋は「床の間」や「違い棚」が設けられて
書院造りの特徴をそなえています。

                                     参考画像
床の間の「鷲の図」と襖の「竹林図」はだいぶ色が褪せていますが
宮本武蔵による墨絵といわれています。

1605年ぐらいの作品とのことで
吉岡道場との果し合いの後、3年間観智院に潜伏していた間に
長谷川等伯や海北友松の絵に影響を受けて描いたものとされています。

床の間の絵は、右上と左下の二羽の鷲が一つの獲物を狙って睨み合う場面です。
襖絵の二本の竹が交差して立つ絵も
武蔵の孤独や二刀の気魄をそのまま写していると言われています。

「竹林図」「鷲の図」宮本武蔵 1605年頃

   
                                     参考画像 観智院パンフレット


本堂へ続く渡り廊下です。

                                             参考画像
廊下で囲まれた「四方正面の庭」です。



本堂 本尊 五大虚空菩薩像 (重文)唐 木造

本堂の本尊は異国的な鳥獣の上に座した5体の菩薩像です。
唐末期の様式とのことで、大変魅力的なデザインでした。
これらはかつて空海が修行した長安の青龍寺の金堂の本尊を
入唐僧の恵運が847年に請来したもので
後年観智院に迎えられたものだそうです。

  五大虚空菩薩像 唐時代      参考画像:観智院パンフレット


茶室 楓泉観 

観智院の茶室です。
こちらはあまり茶の湯の侘び寂びに徹した席や庭では無く
書院風の茶室といった感じでした。

                                  参考画像 観智院:パンフレット

                                                 参考画像         
左の小さな襖の向こうは奥の席とのことでした。

明るいお庭です。

広い敷地ではありませんが
いろいろと変化に富んだ観智院でした。