26 Mar. 2010

―アクエリアスの航海―
蝶の夢  ~生月島 ~
                                   
2010年3月  はる   








<生月島への道>
九州北海岸を西に向かうと狭い海峡を挟んで平戸島があり、平戸島から更に狭い海峡を渡ると生月島に辿りつく。
これから先には五島列島があるが、生月島と五島列島の間には広い海で隔てられていて、船の性能や航海技術が未熟だったころには
生月島はひとつの終点でもあったと言える。
だから、「生月島は行き着き島」というに由来しているとも伝えられている。
1978年に九州本土と平戸島の間が平戸大橋によって繋がり、1991年には平戸島と生月島の間が生月大橋によって繋がったので、い
までは生月島まで車で簡単に行くことができる。



平戸海峡九州本土(左)と平戸島(右)。中央に赤い平戸大橋が霞んでいる。ここは潮流が非常に早い。手前の入り江が平戸港。


平戸大橋

徳川幕府が平戸を開港地に指定して1609年にオランダが、また1613年にイギリスが商館を設置した。
大形帆船はこんな所では小船に曳かれるとはいえ、よくも、狭い海峡で操船出来たな、と思う。


生月海峡。海峡に架かる生月大橋が霞んで見えない。



生月大橋遠景。左が平戸島、右が生月島。海峡の中に中江の島。


生月大橋を通過。ここを過ぎると五島列島の野崎島と宇久島が見える。


生月島側から見た生月大橋。
平戸島側は断崖の連続で、今でも人家はほとんど無い。


<生月島の自然>




生月島は自然に恵まれている。
春、菜の花で島は覆われる。蝶は舞いつばめは飛び交う。











夕陽は五島列島に沈む

生月島は橋の完成に合わせて島内周回道路が整備された。
この島は自然に恵まれている。フェリーに乗らず車で行くことが出来る島の中では九州で一番の景色だと思う。

<大バエ灯台>
福岡からヨットで沖縄など南に行くときは九州本土と平戸島間の平戸海峡を通るのが最短である。福江島など下五島へもこのルートだ。
やや西方向になる野崎島などの上五島に行くときは平戸島と生月島の間の生月海峡を通るのが近道である。
しかし、上五島に行くときにも、ちょっと遠回りになるが生月島の北端をかわして生月島の西側を通ることも多い。
生月島北端の断崖に聳え立つ「大バエ灯台」を海から見るためである。
大バエ灯台下の海は岩礁からすぐに深く切れ込んでいるので断崖にかなり近くまで船で接近できる。それに海の色はいつも青い。
頭上はるかに高く、白い灯台を見上げながら波を切っていくのはとても気持ちがいい。



断崖の上に聳える大バエ灯台。白い灯台の左にトンビが飛んでいる。
外海に突き出た岬の常でここの潮流はとても早い。

高いところに屹立しているということは、遠いところからでも視認性がいいということである。
荒天でなくても、夜間、灯台の光が見えて自艇の位置確認が出来たときには安心する。生月島の灯台は夜間でも遠くからはっきりと見える。
(各灯台の光質、光り方、光る長さは異なっているのでどこの灯台であるかは海図を見れば分かる。)

 
<渡り鳥 殉教の島 綴りゆく>



歌碑がある大バエ灯台
灯台の近くには歌碑があって、
「渡り鳥 殉教の島 綴りゆく   春郎」 
と刻まれている。 



調べてみると、春郎とは俳句誌「馬酔木」を創刊した水原秋桜子のご子息で、現在、同誌を主宰している水原春郎氏ということだ。

僕はこの句を読んだとき、断崖特有の上昇気流を感じながら、この渡り鳥は「ハチクマ」のことではないかな?と、勝手に想像した。

<ハチクマ>
ハチクマとは、クマタカに似たタカの一種で、オオスズメバチとかキイロスズメバチなどの蜂類が大好物のため、この名前が付けられている。
子育てにもハチの巣を幼虫ごとやったりする。

ハチクマは日本列島をあたかも綴るように移動して渡っていく。
ツバメと同じく、春先、東南アジアから中国を経て日本にやってきたハチクマは蜂類が多い信州を中心に繁殖・子育てをして秋になると
親子いっしょに再び海を渡って帰っていく。ハチクマが渡るときは体力を温存するため上昇気流を利用する。
朝、気温が上がって山の斜面に上昇気流が発生すると、ほとんど羽ばたきせずに上昇気流に体をまかせ円弧を描きながら高く舞い上がり、
十分な高度になると目的地に向かって飛んでいく。
夕方近くになると条件に適した山中に下り、一夜を過ごして上昇気流の発生する朝を待つ。
このように日本各地から縫うように中継の山地を経ながら列島を移動してきたハチクマは、日本でいちばん中国大陸に近い五島列島・福江島
の大瀬崎に大集結して、あとは山など望むべくもない東シナ海を4日ほどかけて命がけで一気に渡っていくのだ。
最終集結地の大瀬崎では多いときは一日に2000羽以上になることもあるらしい。
大瀬崎も断崖の上に灯台があって、五島の観光パンフレットには必ず登場する名所であり、僕はこの沖は何度かヨットで通過したことがあるし、
また、大瀬崎灯台にも登ったこともあるのだが、いずれも夏のことで、秋の大瀬崎でのハチクマの大集結は、まだ、見たことがない。

福岡市の油山は、ハチクマの渡りの重要な中継点のひとつであり、毎年9月中旬~10月中旬にかけて福岡市近郊の野鳥愛好家たちは、
油山に登ってハチクマの観察に熱狂する。
毎年9月15日くらいから10月15日くらいまで、福岡市油山の片江展望台では誰かが双眼鏡を持って観察しているので興味がある人は一緒に
観察したらいいと思う。油山での渡りのピークは秋分の日ごろ。500羽近くが渡る日もあるし、気象条件が悪いときはまったく飛ばない日もある。
前日の夕方、油山に降り立ったハチクマは、翌朝、森の間から飛び立ち、低空から少しずつ大きく弧を描きながら高度を上げていって、最後は
上空高く点となってツツーと南西、つまり五島の方を目指して渡っていくのだ。
双眼鏡で去り行く姿を見あげる人々は、今年の無事なる渡りと来年の飛来を心の中で祈っている。
全部のハチクマが、無事、渡り終えることはないだろう。
高齢の人たちは、あと、何回、この渡りを見ることが出来るのだろうかと自分のなかで自問自答したりもする。
無心に空を見上げ、鳥の渡りを見送ることは無意識に自分の夢を託しているのかもしれない。

<殉教の島>
生月島は、また、キリシタン弾圧による殉教の島でもある。
島の各地に殉教者が祀られていて日常の風景に溶け込んでいる。









ガスパル様、生月島で奉行を務め、家族ともども殉教したガスパル西玄可を祀った祠。


ガスパル様を祈念したクルス公園




だんじく様を祀った祠


だんじく様が隠れていた断崖へと続く道


中江の島
弾圧されたキリスト教徒たちは海峡のなかに浮かぶ中江の島で処刑された。
この島は棄教を拒み神のもとに旅立って行った幾多の人々の血で染まった。
いま、この島は聖地となっている。
生月島で、洗礼に使われる水はこの島のものだという。




生月島の自然や歴史、隠れキリシタンのことが分かる生月島博物館


<山田教会>
生月島の信仰の中心は山田教会である。








山田教会は生涯を教会建設にささげた鉄川与助によって明治四十四年(1911年)に建設が始まり、大正元年(1912年)に完成、
大正二年(1913年)から使用されるようになった。

<蝶>
山田教会の特徴は壁にある蝶の飾り付けであろう。










歴代神父のなかに昆虫の専門家がいて、世界中から蝶の羽を集めてデザインしたとのこと。
鮮やかなブルーは南米のモルフォ蝶であろうか。
図柄に宗教的な意味があるらしいのだが、僕には分からない。
海を越えて集まった蝶たちはここで夢を紡ぐ。


<てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた>
安西冬衛なる人が詠んだ、この短い詩を最初に知ったのは昭和四十年代なかば、僕が二十歳を少し過ぎたころ清岡卓行著
「アカシアの大連」に引用されていたときのことだった。
「てふてふ」は蝶の羽ばたきを感じさせ、韃靼(だったん)海峡という言葉は異国へといざなう。
当時の単行本は繊維が見えそうな粗い紙に活字を押し付けて印刷されていたものも多く、紙にくっきりと活字の凹凸があって、
文字の跡そのものにも力強さを感じさせた。
青い空、青い海の中にあって、光を浴びてたった一匹で海峡を渡っていく蝶は生命と希望の象徴であり、夢へと昇華する。
遠く韃靼海峡に思いをはせ、渡っていく蝶の姿を思い浮かべるとそれは黒いアゲハ蝶などではあってはならず、白い蝶でなけ
ればならないなどと空想したものだ。

ヨットに乗り始めて分かったのだが、海の上で蝶を見ることは少ない。
一方、とんぼは飛翔力の差なのか、目にすることがとても多い。
初夏のとんぼは集団で船の周りを早いスピードで自由に飛び回っているが、決して船に降りたりはしない。
しかし秋風を感じるころになるととんぼの飛翔は弱弱しくなって船につかまるようになる。
いちど船に降り立ったとんぼは精魂尽き果てた様子で、近づいて手で触っても再び飛び立とうとはしない。
羽を下ろし、蜻蛉の名にふさわしい哀しい目でこっちを見つめている。ほかのことに気を取られていると、いつしかカサカサと風に
吹かれてデッキの上を滑り、海に落ちていく。
飛んでいて、そのまま海に落ちていくさまも何度も目撃した。

若いころ、海峡を渡っていく蝶が力尽きて海に落ちる瞬間があるとは想像もしなかった。


<「ラ・ゴロンドリーナ」(メキシコ語でつばめ)>

映画「ワイルドバンチ」の中でつばめを唄った「ラ・ゴロンドリーナ」というメキシコの歌が挿入されている。
ワイルドバンチ」は冒頭とラストにある二度の銃撃戦シーンで映画史に残っているが、映画の内容は時代に取り残され滅び行く
男たちへの挽歌である。
「ラ・ゴロンドリーナ」は映画の中で二度、使われている。
一度目は主人公たち(ウイリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナインたち。実にいい)が銀行強盗に失敗し多くの仲間を失い、
メキシコの貧しい村に逃げ込み、つかの間の安らぎを得たあと、村人たちに見送られ旅立ちをするとき。
村人たちの夢を乗せた惜別の歌として。
二度目はエンドロールのなか。
死に場所を求めた壮絶な銃撃戦で全員が散ったあと、敬意を込めた鎮魂の歌として。

「ラ・ゴロンドリーナ」




(映画の字幕は次のとおり)

疲れきった翼で  行方さえ知れずに
つばめは一体  どこへ飛んでいくのだろうか
当てなど何ひとつなく まだ見えぬ隠れ家を求めて
ああ神様  私はもう飛べない

夢に見るのは愛のねぐら
だけど 愛はすげなく飛び去ってしまう
一人残って 途方に暮れる

ああ神様 私はもう飛べない