9/27 2002掲載

v. K. です。
 
<古都ザルツブルク>

ザルツブルクがオーストリアに帰属したのは18世紀半ばのことです。それ以前は司教領でした。
映画「アマデウス」の中でもそのことが描かれています。古都と呼ばれるにふさわしい、歴史と伝統を今に継承する町です。



バロックの大聖堂と

祝祭劇場前の華やぎ 後方山頂に要塞

音楽祭と



民族衣装のディルンドルが見事な調和を見せています。

ザルツブルクは、ザルツァッハ川(ドナウの支流)とメンヒスベルクという岩山の間の、わずかな平地にできた町です。

 

昔の人は戦略上こういう窮屈なところを選んだのでしょう。現在の人口は約15万人。
写真中央の真っ直ぐな道が写真(sz02)に見た厩舎通り。メンヒスベルクにへばりつくように建っているのが祝祭劇場。
それに並んで手前方にサウンド・オブ・ミュージックに出てきた岩壁の劇場があります(後述)。
メンヒスベルク裏手にも市街地が広がっており、祝祭劇場横にトンネルがあります。
メンヒスベルクの中は岩をくり抜いた多層の大駐車場になっています。



国外脱出を決行に移した矢先のトラップ一家が郷土音楽祭に出ることとなり、子供達が「お休みなさいの歌(?)」を歌い、
大佐とマリアが「エーデルワイス」を歌ったのがここ。
大佐の歌声が涙で途切れ、マリアが助けるように側から歌い、観客も一緒になって大合唱になったあのシーン、感動しましたね。
ここは元々「岩壁乗馬学校 フェルゼン・ライトシューレ」でした。劇場になった今でもそう呼ばれています。
舞台背景となる岩壁には三層の廊が掘られていますが、これは馬術演技の観客席でした。
大佐一家が歌った当時ここは野外劇場でしたが、第二次世界大戦後開閉式の屋根が着けられました。



私たちが初めてザルツブルクを訪れた時泊まったホテルは、都心から少し離れザルツァッハ川対岸の、写真に見られる
あたりの質素で目立たないホテルでした。5月でしたが、カスタニエンの木陰に設けられたわずか数席のレストランがとても
爽やかだったのを覚えています。
後日そのホテルがその当時ヴィーン・フィルの常任指揮者をしていたカール・ベームの常宿と聞いて嬉しくなりました。
カラヤンだったらきっとあんな質素なホテルに泊まることはないでしょう。



今私たちがいるのはホーエンザルツブルク要塞です。この要塞は何度も実際の戦争をくぐり抜けてきました。



要塞の最上部にあり、中世の面影の残るこの広間は現在は室内楽コンサートに使われています。



この広間の柱には砲撃を受けて破損した痕が今でも残っています。
また要塞の拷問室を見ると(実際には使われることはなかったと、説明がありましたが)鳥肌が立ってきます。

そして

見下ろすと綺麗な公園があって、その中に瀟洒な小屋が。
でも小屋の名前は「絞首刑の家」、ゾーォッ。歴史の裏面を幾度となく見てきたこの小屋でしょうが、現在は個人所有だそうです。



正面に見えるのがザルツブルク大聖堂です。今から降りてあそこに行きます。



大聖堂正面(ファサード)。この空間は前の写真に見られるように四方が建物で囲まれており、野外劇場となります。
ザルツブルク音楽祭では毎年ここで劇「江分利満」が上演され、音楽祭の見物の一つだそうです。



大聖堂の中は荘厳なバロック空間。



丸天井(クッペル)の中はこんなふうになっている。絵を統一している明るいワインレッドが印象的です。



ルネサンスの頃からキリスト教の神は白髪白髭の老人の姿に描かれることが一般化したそうです。
ここに描かれているのは神だろうか、恐らく聖人でしょう。天使が肩を揉んでいるようだが。


大聖堂の近く聖ペテロ教会にこんな墓地がありました。
トラップ大佐一家が脱出の途中隠れたのがここではないかと思うのですが、未確認です。



その聖ペテロ教会付属レストランは美味しいので評判のよいところだそうです。
こちらにお住まいの日本人若奥様の薦めで、今日の昼食はここに決めたーっ。木と漆喰壁の落ち着いた雰囲気。食事も美味しかった。


午後は旧市街を散策します。最初に行くのはなんといっても穀物小路(ゲトライデ・ガッセ)。
今日も観光客で溢れています。つり下げ型の屋号票(適当な日本語がなくて)が面白い。



冬訪れるとこんなふう。右手の黄色い建物がモーツァルトが生まれた家だったと思いますが、



少し離れたところにはモーツァルトが住んでいた家もあります。



ヨーロッパの街を歩くとこのような女神をよく見かけます。
ローマ神話の正義の女神ユスティチア(justice の語源)。左手に持った天秤で人間の所業の善悪を量り、右手の剣で人間を裁きます。
たいてい当時のサッチャー英国首相を思い出させる厳しい顔立ちをしています。



ザルツブルクは馬が多い。馬の絵、馬が泳ぐ噴水、乗馬学校、そして観光も馬車でどうぞ。
 
(続く・・・・・)

ザルツブルク後半を書くにあたり、何年ぶりかで映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見ました。
修猷館時代に見た時はなんと美しい映画だろうという感激でした。だからこそアダムス・ファミリーの
ひねくれ娘ウエンズディを従順な良い子に洗脳する教材として、この映画がほんの1,2秒出てくるわ
けですが、今回注意深く見るといろんな場所が判っただけでなく、男爵夫人とマリアの火花散る遣り取
りもよく解りました。

なお
Yoko さんのヴァーモント州トラップファミリー・ロッジ紹介記事を、参考にさせていただきました。

 

<古都ザルツブルク 続き>

もうすこし穀物小路 Getreidegasse を歩いてみましょう。

ザルツブルク風ドライフラワーの店。木の実類やストローと組み合わせて可愛い壁掛けやクリスマスの
飾りを作ります。

アップするとガラス製のボールやガラスや金属製の鐘が下端に付いています。

これは民族衣装の店。民族衣装(フォルクストラハト Volkstrachtといっても、和服よりもずっと
普段の生活の中で着られています。
ショウ・ウインドウ中のエプロン着きコスチュームをディルンドル
Dirndl といいます。
写真のようにベストと組み合わせることもあります。

映画の中でトラップ大佐が好んで着ていた、グレイ地に緑色立ちカラーのスーツも典型的な民族服です。

襟に小さなアクセサリーが付いていますが、よく鹿の角が用いられます。

マリアも度々ディルンドルを着ていましたが、貧乏家庭教師という設定のせいか、地味な色を着ていました。
マリアは遊び着を持たない子供達にカーテンを利用して服を作ってあげました。でも二人の男の子は幾つか
のシーンで肩ひも着き半ズボンを履いていましたね。これは
牛皮の半ズボンで、南ドイツ〜オーストリア〜
スイスの男の子なら誰でも必ず持っている遊び着(または作業着)です。

穀物小路ではハンバーガーのマクドナルドも、ご当地のカラーに自ら染まります。

ここで売っているのはブレッツェ(パンの一種)
ふくらし粉たっぷりの生地に、表面に卵の黄身を塗って、ご当地特産粒上岩塩をパラパラとふって焼きます。

ここはかつての司教公館(迎賓館)前のミラベル庭園
背景に
メンヒスベルクと、その上にそびえるホーエンザルツブルク要塞が見えます。
ここでもマリアと子供達が「ドレミの歌」を歌ってましたね。

これから要塞に登ります。

現在はザルツブルク市長府となっているミラベル宮殿は、ガイドブックを読むと面白い歴史が書いてありました。
17
世紀初頭、当時絶大な権力を握っていた司教ディートリッヒは商人の娘サロメを寵愛し、彼女のために見晴らし
の良いこの地に宮殿を造りました。サロメは司教の子宝を
10人もうけましたが、二人の我が世の春は長くは続かず、
ディートリッヒは政敵に捕らえられて死ぬまでここホーエンザルツブルク要塞に幽閉され、サロメは追放されます。
新しい司教はサロメの名が付けられたこの宮殿を単にミラベル(
Mirabell 本来小ぶりの あんず のこと。
ここでは「良い眺め」の意)と改称しました。

18
世紀に大々的に改装され、オーストリアを代表するバロック宮殿となりました。

なおこの近くには国際モーツァルト協会本部があり、その横の庭園の一隅にモーツァルトが「魔笛」を作曲したと
言い伝えられている、
「魔笛小屋」というあばら家があります。

湖に面して立つレオポルドクロン城館。映画の中でトラップ一家の住まいとなっていたシャトーです。後方に要塞。
先ほどのミラベル宮殿からは要塞の反対側になります。映画ではトラップ邸の湖水に面したファサードはこの建物、
玄関側ファサードは別の建物を利用して撮影したそうです。どうりで、玄関側は外壁黄色ですよ。

本来は18世紀に当時の司教レオポルドが自分の妻のために建て、「レオポルドの王冠」と名付けた城館です。
この司教も強権発動して公私混同やりたい放題だったようです。司教領内の2万人のプロテスタントを迫害し、追わ
れた彼らのうちある者は北ドイツプロイセンを目指し、またある者は新大陸を目指して去って行ったそうです。

建物は当初3階建てロココ様式建築でしたが、間もなく時代の流行に従って古典主義様式に装飾が改められ、さらに
19世紀に入って4階部分が増築されました。

現在はハーバード大学の所有だそうです。

湖のこちら側にはこのようなプロムナードがあって、これを奥の方へ行くと

ガラスのパヴィリオンがあります。

映画ではトラップ城館の庭にある設定でしたが、あれはセットでの撮影だそうで、完成後ザルツブルクに寄贈され、
現在は別のところ移設されているそうです。

このパヴィリオンは映画では2度出てきます。一度目は長女リーズルとボーイフレンドのロルフ(ヒトラー少年隊員)
がにわか雨を避けて入ったこの中でダンスを踊るシーン。

もう一度は大佐がマリアに求婚する場面です。ちなみに長女の名前リーズル Liesl はエリザベート Elisabeth の愛称では
ないかと思います。フランツ=ヨーゼフの愛称がフランツル
Franzl であるように。またシュヴァルツヴァルトではリー
ズレ、スイスではリーズリと訛りが変化するのでしょう。

I am sixteen, going on seventeen..

ロルフに手を取られてリーズルはベンチの上を駆けるように踊ります。次のベンチに飛び移る時、ロルフが片膝を地面
に着いて姿勢を低くすると、長女はロルフの立てている方の膝を踏み台にしてひょいと超えて行きます。
それがかっこうよく決まっているんです。

マリアとフナンツの現実はこうだったなあ:

<レストランに入る時>

(周囲ドイツ人ばかりなのに声音を低くして)「おい、コート俺が脱がしてやるから、自分でさっさか脱ぐなよ」

<レストランを出る時>

(やはりなぜか声音を低くして)「おい、俺がコート着せてやるから勝手に着るなよ!俺が恥かく」

コートを着せてあげたら、軽く両腕を抱いてあげる、これがコツなのであります、、。

そういう他愛もないことを思い出していると、横をブラスバンドが通り過ぎて行きました。

やっぱりこの一団も民族衣装で決めている。あのフェルト帽、グレイのジャケットにあの革ズボン、、
(僕も一式持ってたけど)。

<ザルツカマーグート>

これは要塞から南東方向を見たところ。
あの山の向こうに
ザルツカマーグート Salzkammergut と呼ばれる美しい高原地帯が広がっています。映画の冒頭マリアが

The hills are alive with the sound of music..

と歌うシーン、あるいはマリアと子供達が「ドレミの歌」を高原で歌うシーン、、あれがザルツカマーグートです。

こんな風景が延々と続いて

ここはヴォルフガンク湖畔ザンクト・ギルゲン。たしかモーツァルトの母の生地です。
映画でマリアと大佐の結婚式に使われたのは、ここの巡礼教会だそうです。
ザルツブルク周辺は司教領だったせいか、
XXという地名があちこちにあります。日本のOO寺と同じですかね。

マリアと子供達も乗っていたこの登山鉄道。標高1800mシャフベルク山頂に立つと眼下にヴォルフガンク湖が、遙か
彼方までザルツカマーグートの高原が広がっています。

冬は良いスキー場が幾つもあります。

これはザルツブルクの南、グロースグロックナー・アルペンハイウエーの中程です。
グロースグロックナーはオーストリア最高峰(
3798m 、5月末でもこんなに雪が残っていました。

さてザルツブルクの名前の由来、ザルツはSalzengl. salt、塩のことです。
この地方は岩塩を産出し、それが富をもたらしました。だからローマ教皇もここを素早く手中に収めたのです。
ザルツカマーグートという名称、カマー
(Kammer 宮廷)グート(Gut 財宝)はその歴史に由来します。

特にハルシュタットという町は紀元前900年頃に遡る岩塩坑や住居遺跡があります。

有史以前この地方は海の底であったことは、地質学的に間違いないのでしょう。南ドイツでは至る所でアンモン貝を含む
化石アンモナイト
が本当に掃いて捨てるくらい大量に出土し、ミュンヘン地下鉄駅の階段にもあちこち露出しています。
だが不思議なことにこの地方の(あるいは広くヨーロッパの)岩塩には、
ヨードが含まれていないのです。ヨード欠乏に
よって起こる甲状腺機能低下症は内陸部ヨーロッパの風土病です。ミュンヘンで行きつけの理髪店の女の子がやはりそれで、
頚正中部が腫大していました。髪を切りに行く度に毎日薬を飲んでいるだの、雑談しながら教えてもらいました。

<ベルヒテスガーデンとバート・ライヘンハル>

ザルツブルクは国境の町で、ドイツ側はベルヒテスガーデンという、これもオーストリア側に負けず劣らず美しい地方です。
地図で見ると盲腸のようにオーストリアに突き出していて、ザルツブルクはその付け根にちょこんと張り付いたようになっ
ています。ヒトラーの山荘があったことでも知られています。

この「盲腸」は周囲を2000m級の岩山で取り囲まれています。

その中央に南北に細長い湖があります。実はこのクーニッヒ湖(邦比古デハナイ Ko"nigsee)が「サウンド・オブ・ミュージック」
に出てました。冒頭空からの映像で美しい景色が次々と紹介されますが、その中で出てきます。その後ある本で確認したから間違い
ありません。氷河湖なので最深部は
150m 位あります。両側は切り立った崖で道はなく、

湖の奥にあるこの修道院に行くには船しかありません。

ザルツブルクから来ると国境を越えてすぐの町がバート・ライヘンハル Bad Reichenhall です。

今回のザルツブルク訪問で私たちを案内してくれた千春さんは、ここにお住まいです。

Bad は温泉、reich は英語のリッチ、Hall は塩の交易地を意味し、この町の由来を示しています。
この近くにも岩塩鉱山があります。採取は坑道に水を流し込み、塩水を汲み上げるのだそうです。

バート・ライヘンハル産の岩塩は日本でも売られています。

今回ザルツブルクにはミュンヘンから列車で行きました。

ドイツ連邦鉄道も民営化してサービスが向上しました。ブダペスト行き国際列車ユーロシティ、コンパートメント・
タイプの一等車。座席の後ろは鏡です。

座っているのは味の明太子ふくやの川原社長。

EU統合が進み、以前あった国境でのパスポート・コントロールがなくなっています。

洒落た内装の食堂車。

また、帰路の列車はヴェニス発の国際列車ユーロシティでした。往きも帰りもちょっぴりオリエント急行の雰囲気を漂わせた
今回のザルツブルク行でした。

ザルツブルクは、何度訪れても魅力の尽きることない町です。

さあ v.K. どん、、、、、Newレポート出す気になったかい?